本当は怖い。過食症と過食嘔吐ブログ

過食症の体験談がまとめられたブログです。

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タグ : チューイング

チューイングの弊害

女性 会社員 23歳 B型 東京都

私は17歳からチューイング症になり、およそ6年が経ちました。14歳の時から体型がコンプレックスで、摂食障害になってからもありとあらゆるダイエットを続け、10キロの増減を繰り返していました。
チューイングの症状はひどくなっているのに、それ以上に痩せようと酷な運動やサプリメントの摂取、胃の中に入れるのはひどい時は水だけの生活を送っていました。間違ったことをしているという意識も忘れ、一日中そのことに囚われていて、ただ放心状態になってしまっていたことがとても辛かったです。
また、仕事をしている時、勉強をしている時、友達と遊んでいる時、チューイングができないと頭がぼーっとしてきて何にも機能しない中毒状態もとても苦しかったです。
歯もボロボロになり虫歯だらけ、かるい歯周病にもなり、気づけば口臭もきつくなり顔の表情もくすんできて、今考えると私の身体の不調もほとんどが過食症のせいでした。

摂食障害、私の人生に必要な試練だけど、このままでいいとは思わない。

女性 自由業 31歳 B型 奈良県

どうして、摂食障害になったんだろう。
10年も、苦しむことになるなんて、想像もしてなかった。

高校に入学したころ、家族の秘密を知った。私は、両親にすごく愛されて育ててもらったけど、私が生まれたことで、すごく傷ついた人がいる。そんなことないのかもしれない。でも、15歳の私は、そういう風にしか受け取れなかった。自分が生まれてきたことを、責めた。どれだけ両親が愛情を注いでくれても、それは、ある人の犠牲の上に、私の幸せがあったんだと思うと、もう、それからは、素直に愛情を受け取れなくなってしまった。私なんて、生まれてこなければ良かったと、常にそう思っていた。
それまでは、活発な性格だったが、それ以来自分に自信がなくなり、消極的になった。高校に入ってから、少し太り出す。5キロくらい。この頃は過食とかじゃなく、年頃特有の体型の変化だと思う。でも、男子から、急に体型についてからかわれたり、自信がなくていつもオドオドしていたせいか、気の強い子には「下」とみなされ、その頃から人の顔色を伺うクセがついてしまった。なんでも、自分のせいだと思ってしまう。今でも。
思えば、このぐらいから「マグマ」が蓄積されていたのかもしれない。

高校卒業後、就職した。もういじめられることはなかったけれど、仕事だけを支えに生きていた。結構な激務だったけど、他には、何にもなかった。自信もない、得意なこともない、趣味もない。やりたいこともない。可愛くもないし太っている。仕事しかなかった。ある日、仕事上の、ほんの些細な出来事がきっかけで、体調を崩し胃腸を悪くした私は、ほとんど食事を摂ることができなくなる。3か月くらいそんな状態が続き、体調が悪化して入院。気付くと、15キロくらい痩せていた。フラフラなのに、生理も止まったのに、痩せてたことが嬉しいと思った。その頃には、身体が全く食事を受け付けず、24時間点滴。体調不良の原因は不明。医師にはストレスかなと言われていた。退院後、心も身体も限界だった私は、仕事に戻ることができず、辞職した。私は本当に、何も無くなってしまった。仕事もせず、親に世話になり、誰にも必要とされず、明日私が消えても、誰も困らない。自分は何のために生きてるのか?生きている意味はあるのか?食事すら、苦痛な時間になって。楽しいことも、何ひとつなかった。何も無い自分に残ったのは、痩せた身体だけ。細くなると、周りが優しい。もう、体型をからかわれることはない。何としても、太るわけにはいかなかった。次第に、体調不良からの食欲不振に加え、太りたくない恐怖が加わる。5年ほどは、拒食だった。

ある時、猛烈に食べたい気持ちに襲われる。コンビニで、ずっと我慢していたお菓子やパンを買い込む。大量の食べ物を前に、どうしようか焦った。「そうだ、噛むだけ噛んで味わって、出しちゃえばいい」夢中でチューイングした。まだ、チューイングなんて言葉も知らなかった。それから始まってしまった。拒食だけだった頃よりはるかに辛い。出してるとは言え、少しずつ増える体重。見た目だけは元気そうに見える。周りの、「元気になったね」の言葉が辛い。親にも、分かってもらえない。チューイング後の罪悪感。常に疲労感。欲しいものも買えず、ただ食べ物に費やす日々。毎日、1日中食べ物のことばかり考えてる。やりたいこともできない。

摂食障害に振り回された20代。友達も、どんどん減っていった。周りは仕事に結婚。キラキラしてるのに、私は・・・楽しいことも、殆どなかった。お金も、社会経験も。他人を避けて、閉じこもる。人に会うのが怖い。社会に出るのが不安で、怖くて。
30歳を前に、転機が訪れる。支援を受けながら、働き始めた。そこで、身体障害があり、車いすでも明るく生きてる人に出会った。その人と過ごすうちに、私の中で、少しずつ何かが変わっていった。長年止まってた生理も、戻った。

今もチューイングをしてるし、食べる恐怖もある。ちょっとしたことで悪化してしまうし、情緒不安定だけど、少しずつ、確実に変わっている。本当にやりたいと思える仕事にも出会えて、支援を受けながらであっても今、それができていること。友達は少ないけれど、摂食障害になっても変わらずに居てくれた友達だけが残った。だから淋しくない。友達は数じゃない。こんな私を昔から支えてくれて、一緒に居てくれる人が居る。本当に大事な人がわかったり、なんでもないことが嬉しかったり、感謝できたり、人の気持ちを考えられるようになったりしたことは、やっぱりこの病気になったからこそかなと思います。

だけど、このままでいいとは思わない。摂食障害も、私の人生に必要な試練だったのかなと思えるぐらいにはなれたけど、これからの私の人生に、摂食障害は必要ないから。病気は治さなくてはいけない。治したい。そして、「食」に支配されず、やりたいことができる人生を送りたい。時間もお金も有意義に使って、好きな人と、穏やかに生きていきたい。

たとえ病気になっても太らなければいいと思っていた

女性 会社員 38歳 AB型 東京都

19歳~21歳 拒食 体重20キロ台になる
このままでは死んでしまうかもと思い病院受診をした 食べることを始めると今度は止まらなくなりリバウンド 仕事をかわるなど忙ししているうちに症状は落ち着いて体型についても諦めもあり気にならなくなっていった

24歳 付き合っていただき人から痩せろと言われ 拒食再発
チューイングと痩せ薬を乱用し10キロ減量した 結婚してからも体型について言われ続け 食べではいけない 悪いことだと思うようになった 体重は少しずつ増えていた 結婚5年で離婚 相手から離婚の申し出があった
痩せた体でいられなかったことが原因だと思った 離婚してからも太らないようにチューイングと下剤乱用を続けるていた
固形のものは食べずアルコールや水分でごまかして たまに過食嘔吐をしていた
生活環境が変わり忙しくなると前ほど体型が気にならなくなり症状は少なくなったが
太らない食べ方を考えて基本あまり食べないように気をつけて病気になってでも太らなければいいと思っていた

19歳の頃の状況に比べると良くはなったけど 食べることには罪悪感があり ひとりになるとチューイングや過食嘔吐をする生活になった
太るくらいならこのままでもいいと思っていた
痩せて周りに心配されても自分が良ければそれで良かった
人の話を聞かないようになっていった
自分のルールの中でしか生活できなくなってしまっていた
センターに相談する前までこんなことの繰り返しです

普通の食事を大切な家族と、友人と、笑いながら食べること。私にはもうそれが出来ません。

女性 会社員 27歳 B型 広島県

もともと太っていてそれがコンプレックス。自己流の糖質制限で10キロ痩せましたが26の時に摂食障害を発症。この頃にやっと自分の食べ方、食への異常なこだわりをおかしいと思うようになっただけなので、発症自体はもっと以前かもしれません。

私は毎日必ずチューイング、週3日の過食嘔吐、さらに週2日の休日は空いた時間があれば必ず過食嘔吐しています。
ここ最近は楽に吐ける方法を仕事中ネットで探し、沢山食べても吐けば良いと開き直っている自分すらいました。
おかげで中指の真下と人差し指の下に吐きダコ。皮膚も硬化してしまい、見る人が見れば過食嘔吐だと分かるほど。
友人や家族にも、その手どうしたの、と言われますがぶつけただとかあり得ない嘘をついていました。
食べては吐いて食べては吐いて、身体は筋肉も落ちて細くなって、友人に恵まれない子供みたいだと言われたこともあります。
でも自分では痩せているとは思えず、太りたくない気持ちと食べたい気持ちが戦って、嘔吐という代償行為をするようになりました。上半身はがりがりなのに過食嘔吐とチューイングで唾液腺が腫れて顔はいつもまんまる。バランスの悪い体型。

摂食障害で失ったものは沢山あります。普通の食事を大切な家族と、友人と、笑いながら食べること。私にはもうそれが出来ません。外食に行こうものならば徹底的に美味しいお店を調べ上げます。そしていざ食事をしようものならば話しかけてくる友人や家族の言葉を煩わしいとすら思います。
普通の量では満足もできず、人一倍ごはんを食べる。そしてあとになって罪悪感がきてすべて吐き出す。ショッピングモールのトイレに30分閉じこもって嘔吐して、、、友人を一人にしていたこともあります。

よくお客様から差し入れやお菓子を頂くのですが、他のスタッフはその場でそれを美味しそうに食べているのに、私は今食べたら太るからと一旦ストック。しかし、仕事でストレスがたまるとこっそりお菓子を持ちだして永遠とチューイング。トイレだけではなく運転しながらチューイングをしたり、最悪嘔吐まで。
高いカロリーのものはもう、自然とチューイングする癖が付いていて、罪悪感もありません。

この病気になってしまった当初は自分のでいつでも止めることができる、治せると思っていました。
しかし、気付けば過食嘔吐の頻度は昔とは比べものにならない。喉も弱めてしまったのかカラオケに行っても一曲で喉はだめになります。接客業なので声が出なくなるともう、仕事はできず。2週間声が出なくて仕事のメンバーに迷惑をかけたこともあります。

摂食障害を患い、家族にずっとうしろめたさを感じています。母は、私の体調、行動に違和感を感じてか身を案じて声をかけてくれます。しかし、ちゃんと食べてる?もっと、食べなよ、これ買ってきたよ、美味しいよ、という言葉すらもう、私を苦しめるのです。今付き合っている人がいるのですが、彼は私が細いのにごはんを沢山食べること、食へのこだわりが強いところが可愛いと言ってくれます。すべて摂食障害のせい、食べて太ると嫌われるから、沢山たべてあとで吐いてしまう。私は大切な人達皆に嘘をついています。

このまま過食を続けてしまえば、金銭面でも精神面でも私は周囲に迷惑をかけるのだと思います。
この無料相談のあとから過食嘔吐やチューイングへの衝動はぱたっと止まりました。久々に摂食障害と少し距離を置くことができています。昨日友人と食事をし、沢山食べてはしまったものの吐きたいとは思わず、友人といっしょの時間に食事を終えることができました。これはきっと当たり前のこと。でも、その当たり前が私には本当に久々で幸せを噛み締めています。これからもずっと、普通に食事をして眠ることができる幸せを感じたい。ただそれだけです。

くり返す過食ストップと再発。出産後も止まらないチューイング

女性 主婦 37歳 A型 海外

私の結婚生活は、端から見ても順調な方だと思います。
1歳年下の夫は優しく誠実。結婚して4年後には、2人で待ち望んでいた元気な娘を授かり、夫や義父母に助けてもらいながら育児に奮闘する毎日。それなのに、過食衝動にかられ、チューイングを止められずにいます。

そもそもチューイングは、14年も前に無理なダイエットの穴埋め手段として思いついたものでした。
その時は、すぐに止めたこともあり、摂食障害の症状だなんて思ってもいませんでした。

私のチューイングが最も深刻だったのは、夫に出会う前のことです。

失恋がきっかけでチューイングをするようになり、気がつくと、毎日1000円ぐらいのお菓子や職場の厨房からもらった余った料理をチューイングし、トイレに流し続けて下水管を詰まらせたこともありました。

家族が寝静まった後、テレビの前でバケツを抱え朝方までチューイングし、早起きの母が起きてくる頃にベッドに行くという生活でした。気分障害の投薬治療もしていましたが、全く改善しませんでした。それどころか、オーバードーズなどの問題行動を起こし、家族に迷惑をかけていました。

そんな症状が、元々興味のあった分野の専門学校に通うことになりピタリと止まりました。
以来、毎日好きな勉強に打ち込む日々で、過食衝動を感じることもありませんでした。気分障害の症状も収まり、充実した毎日。自己判断で薬も辞めました。

それから4年後、チューイングが再発しました。また失恋が原因でした。
その頃実家暮らしで勤めており、毎日勤め先からの帰り道にコンビニやスーパーで大量の菓子パンやお菓子を買い込み、トイレにこもってチューイングをしました。精神疾患の症状も出て、リストカット、急性アルコール中毒、自殺未遂も起こしていました。そのように家では廃人同然の生活をしつつ、なんとか仕事を続けていました。仕事だけが心の支えでした。
それでも服用していた抗鬱剤のために仕事に遅刻したり、ミスしたりということが続き、やがて契約を打ち切られました。
その後、夫に出会いました。

結婚する前に、夫に自分の精神疾患の経歴や自殺未遂のことを話しました。
非常に勇気の要ることでしたが、夫は優しく受け止めてくれました。それでもチューイングのことは話すことはできませんでした。どんな精神疾患のエピソードよりも恥ずかしく感じたのです。それにチューイングは失恋がきっかけで起こっており、生涯の伴侶を得た今、再発することはないという確信がありました。

国際結婚をして夫の母国に暮らすことになり、ビザを申請中の結婚当初は専業主婦として生活しました。
何のストレスもない幸せな日々。それにもかかわらず、徐々に鬱の症状が出てきて、怠惰に過ごしてしまう自分を責めるようになっていました。その時から、どうしようもなく食べたい衝動に襲われました。
怠惰な生活で、ただでさえ体重が増えていたので、チューイングに走りました。食品アレルギーのある夫のためにお菓子を手作りしていたのですが、その材料や焼く前の生地、焼き上がったものまで噛み吐きしました。夫が家にいる時はひたすら我慢して、1人になるとこっそりしていました。

結婚前のような深刻な状態に陥る前にビザが下り、幸運にも今までのスキルを活かせる仕事が見つかりました。仕事と家事を両立する毎日が始まると忙しくて、気が付いたら食べたい衝動も止まっていました。

それから3年後、待望の娘を妊娠。この国では妊娠期の体重増加は注意されず、体重測定もありません。
悪阻もなく、健康そのもののマタニティライフを過ごしました。ところが産休に入る直前、職場から人員削減のため職場に復帰できる可能性が低いことを告げられました。大好きな仕事だっただけに相当のショックでした。
臨月にもかかわらず、鬱状態になりました。それでもチューイングに走ることはありませんでした。

娘を出産すると生活が一変。仕事に復帰できないことがあれ程悲しかったのに、可愛い娘を見ていると、どうでも良いことに思えてきました。
ところが仕事の契約が切れる12月を3ヶ月前に控えた9月辺りから、どうしようもない不安に襲われるようになりました。このままずっと娘と2人、家にこもりきりになるのではないか。

時間がたっぷりあるはずなのに、娘の服を作ったり記念日をお祝いしたり、母らしいことができていない。
これからだって怠惰で不器用な自分にできそうもない。鬱々とするうちに、食べ物のことが頭を離れなくなりました。
きっと授乳のためにお腹が空くのだから食べれば良いと思う自分と、これ以上ダラダラ食べ続ければ体重がどんどん増えると恐怖に怯える自分が絶えず葛藤していました。

やがて過食衝動はイライラするほど強烈になり、食品をストックした棚のドアを開けて乱暴に閉めることを繰り返したり、炭酸水を異常な勢いでがぶ飲みしたりしていました。イライラの矛先は娘にも向けられるようになり、ついにはチューイングに走りました。最初は娘が寝ている間に。

やがて娘が起きている間は抱っこ紐で娘を抱きながら、食材を噛んではビニール袋に吐き戻すように。
食べカスをかぶった娘を見たとき、涙が出ました。

しかし怖いもので、それも段々当たり前のようになっていき、今はおんぶでキッチンに立ち、チューイングを続ける有様です。

今回無料相談を受けることにしたのは、娘の前でもチューイングをしてしまう自分を今のうちに何とかしたかったためです。
相談を受けるうちに、摂食障害の重篤度は過去最悪の時期が基準となることを知りました。

つまり私の場合、家庭を持った今になっても、12年前や7年前のような廃人同然の頃と同じマグマを潜在的に抱えているということになります。ゾッとしました。

そして世代間連鎖のことも知りました。可愛い娘に、生きていくことが辛いという思いを味合わせたくはありません。
放っておけば蓄積され続けていく過食衝動のマグマ。発症して14年になる今、真剣に向き合って小さくしていこうと思います。

食べたくないのに食べたい、過食衝動に縛られる苦しさ

女性 自由業 25歳 O型 神奈川県

糖質制限と筋トレを合わせたダイエットをして、1ヶ月で6kg以上落としていました。友達との食事会で1度タガが外れ、それから反動のようにひどい過食衝動が出始めました。そしてそれからは毎日ひどい腹痛と吐き気を催しながら胃と口にものをつめこんでいました。
苦しくて食べたくないのに食べたい、食べないと不安という葛藤と、食べても食べてもなくならない過食衝動が四六時中あり、本来の生活が食べ物のことで埋めつくされていました。
もちろん食べたあとは自己嫌悪に襲われましたが、その中でもまだ衝動がおさまらず、胃に物が入らないため、せめて口の中に何か入れようとチューイングが始まってしまいました。さすがに何かがおかしいと思いながらも私は嘔吐をしていなかったため、このときは過食の自覚はありませんでした。
ネットで食欲や満腹中枢などについて調べていたときに過食のチェックリストにたどりつき、軽い気持ちで試しにやってみたら自分にあてはまっていて、ここでやっと「もしかして」と思い始めました。

それからいろいろ思い返してみると、私の過食は恐らく10年くらい前から始まっていたのではないかと思います。もともと家族が不仲で問題が多く、中学生頃からそのストレスを無意識に食べもので発散していました。食べている間は嫌なことは忘れていられました。嘔吐をしなかった私の体重は急増していき、この頃身長はもう伸びていなかったのに年に7,8kgの体重増加がありました。

それでも過食の自覚はずっとありませんでした。「過食」は病的な食べ吐きで私のはただの大食い、くらいの認識でした。
そしてそれがどんどん過食を悪化させていたのだと今はつくづく感じます。
体型がコンプレックスでダイエットをし、反動とストレスでさらに食べる、でもそれが嫌で今度は食べないように試みる、そして前にも増して食べる…。

精神的にも身体的にも辛かったです。私は友達とルームシェアをしているので、その子がいない時間にとにかく食べられるだけ食べ、不審に思われてしまう大量のゴミはバッグに入れて翌日外出した際にゴミ箱を探して捨てていました。
その子がいる間は怪しまれないように自炊したものを少量食べるなど偽装をしていましたが、内心では過食ができないことにイライラしていました。そのため外に出てコンビニでお菓子やパンなどを買いこみ歩きながら道で食べたことも何度かあります。
雨に濡れようがバイトで疲れていようが、食べることが最優先でした。
そして胃が食べ物でいっぱいになると私は何をしているんだろうと我に返り、そんなことをしている自分が恥ずかしく情けなくなり、ご飯すら普通に食べられないことに惨めな気持ちになることもありました。いつも過食がバレることを恐れていて、その緊張感もまたストレスでした。そしてこの間、食費は以前の7~8倍にまで膨れあがっていました。
過食はたくさん食べてしまうというだけの単純な病気ではない、こんな風に精神的・身体的・経済的に追いつめられてどんどん身動きが取れなくなる、根性論や希望的観測ではどうにもならない難病なのだと、きちんと自覚することが回復への大きな1歩なのだと今は思っています。

10年経ってもチューイングと過食嘔吐は止まらない

女性 会社員 26歳 O型 福岡県

私が摂食障害になったのは、高校生の頃。部活で3ヶ月で10キロ落とすようにと言われたことがきっかけ。
最初は運動と食事制限で落とした。元から部活では食べ物の制限があり、油物や洋菓子やパンは食べてはダメという決まりがあった為、どんどんストレスがたまってきた。
そんな時にテレビで見た摂食障害。嘔吐して痩せてる人をみて、食べても吐けばいいんだと思ってしまい、嘔吐をするようになった。その頃は通常食を吐いていただけだった。初めの頃に親にバレて怒られたけど止められなくて、目を盗んでは嘔吐していた。ある日、嘔吐を止めようとおもい、そこから始まったのがチューイング。その頃の私はチューイングが摂食障害だとは思っていなくて、やっているのは私だけだと思っていた。チューイングと、嘔吐で体重はへっていったけど、部活はボロボロ。なんの為に部活を頑張っていたのかわからないくらい、食のせいで落ちこぼれていった。摂食障害を止められないまま部活を引退して、社会人になった。周りからは大食いで通っていたけど、本当は違う。吐いてる。細いねって言われるのが嬉しくて止められなかった。でもガリガリではないから、自分では納得できなくて、太ったり痩せたりを繰り返していた。何度も止めようと思ったけど止められなかった。気づけば摂食障害になってから10年。痩せている時でさえ顔はパンパンで醜かった。今は本当に太って醜い。一般的にデブではないけど、周りからも太ったっていじられて辛い。。。そんななかで太ったのは過食とチューイングのせいだってわかってるのに止められない。チューイングしたって顔が浮腫んで太るのに、止められなくなってしまう。
仕事中もお菓子をチューイングしてコップにバレないように吐いている。バレているかもしれない。最低だ、汚い。友達と楽しく食事しているのに吐くことを考えてしまったりするし、さよならした後もすぐにコンビニにいって過食をしてしまう自分がもう嫌だ。半額という言葉に怖いくらい反応してしまうし、食べ物のことが頭から離れなくて、食べたくないものも安くなっていたら買ってしまう。
普通の食事、生活がしたい。
今は、高校時代の無理な減量からの摂食障害で生理不順で病院にいっている。普通の人なら生理不順を気にしないのかもしれないけど、私は生理不順の原因が摂食障害だって分かっているから怖くて病院に行っている。例え排卵誘発剤の薬を飲んでいても、チューイングをしながらたまに嘔吐もする。なにやってるんだろうと自分をせめるのに止められない。子供がいつかほしいのに止められない。
去年母が癌になった。いつまで一緒にいれるかわからない。母が食べれなくて辛そうなのに嘔吐している自分が嫌で仕方なくなった。本当に治さなくてはって何度も思っているのに、止められなかった。そんな時にセンターに出会った。私のように悩んでる人がこんなにもいるのかと、ホッとしたけれど、簡単に治るものではないんだなって怖くなった。ブログを読めば読むほど絶対治したいと思った。
頭のなかで、今症状が治まってるのは疑似停止。いつかインナーチャイルドが出て来る、このままいくと将来子供に会えないし、会えても辛い思いをさせるって言い聞かせて頑張っている。
絶対絶対今回は負けない。普通の人間になる。

過食嘔吐の悲惨な人生

女性 会社員 37歳 A型 広島県

今回は摂食障害になってからの経過を書かせていただきます。
うまく要約できず文章が長くなりすみません。

17歳の頃のダイエットから拒食となり、過食嘔吐に移行するまで1年かかりませんでした。
体重が戻っても筋力は戻らず、中学生の頃の速さでは走れなくなりました。

18歳から県外に一人暮らしし、過食嘔吐は加速しました。
バイト代は過食代に消えました。

友達と遊びに出掛けることもほとんどなく、お洒落もお化粧もせず、授業が済んだら自転車で近所のスーパーマーケットをはしごします。
安い食材を買い込んで夜くたびれるまで過食嘔吐の繰り返し。
一体何をしているんだろうと自問自答しながら毎日するのです。

スーパーマーケットの店員さんに顔を覚えられ
「こんなに何に使うの」
と聞かれると、その店には二度と行けずに、自転車で1時間かけて遠方の店まで買いに行っていました。

夜は資格勉強のテキストに食べ物のかすを落としながら、トイレと机を何百回もいったり来たりしました。

友達からの食事のお誘いや飲み会も心から楽しめたことはありません。
食べすぎれば吐きたくなるに違いなかったからです。

寒いある晩、突然今まで経験したことのない激しい腹痛と吐き気におそわれました。
おそらく、過食したものがあたったのでしょう。
冷や汗が出て下痢もしました。
実家に過食を隠して食あたりしたと電話しました。
電話にでた実母の話は
「救急車をよびなさい。今は夜で行けない、明日も用事があって行けない」
という内容でした。
もちろん救急車は呼びませんでした。
友達にも助けを求められませんでした。
過食嘔吐したことを知られたくなかったからです。
翌日は発熱し一人で寝ていました。
起き上がれるようになったのは、翌日の夕方でした。
このときの経験が怖くて、健康に気を付けるようになりましたが、過食嘔吐は続けていました。
本当はこれが健康を蝕んでいたにも関わらず。

県外で就職してからも、自宅ではテレビの前とキッチンとトイレを寝るまで巡回しています。
飲み会は帰ってから過食したくなり、くたびれて翌日の仕事がつらくなるので、極力参加しませんでした。
上司には付き合いの悪いやつだと思われましたし、同僚の輪から浮いていました。

学生時代より、自由に過食できるお金は増えましたが心は空虚でした。
こんな人生は止めたいと毎日思いましたが、何をするでもなく毎日淡々と仕事に出ていました。

過食嘔吐は思考と感情を麻痺させます。
その頃には歯は虫歯だらけでしたが、嘔吐を指摘されるのが怖くて通っていませんでした。

ある日、前歯が痛くなりました。
気のせいだと自分に言い聞かせて仕事が終わってから近所の歯科を受診すると、歯の神経の部分まで腐っているとわかりました。
歯に穴を開けると溜まっていた臭いガスをぷしゅっと吹き出てきました。
その歯は神経を抜きました。

ある土曜の夜には、過食して噛んでいると、ばりっと音がして奥歯が割れました。かかりつけの歯科は休みで休日開いている歯科に飛び込んで治してもらいましたが、へんてこな大きな銀歯の被せものをされました。
いまでもどこの歯科に行っても、なぜそんなへんな被せものをしたの?と聞かれます。私はそれに答えられません。

30歳を過ぎて今の人生を変えることを諦めて数年後、見合い結婚し子どもを授かりました。

出産での入院からひとつきあまり、人生で初めて過食嘔吐が止まった時期がありました。
このまま続いてほしいと思いましたが、無理でした。
慣れない育児の中、過食嘔吐を止めたままでは苦しくて、まず噛み吐きから始まりました。
すぐに過食嘔吐になり、時間の許す限り続けました。
第一子はよく泣く子で起きている間は抱っこにおんぶで過ごしました。
子どもが寝たら過食しようとベッドに置いて、何度も起きられては腹をたてて奇声をあげたことか。

この子は私が振る舞ったままの子どもに成長しました。
イライラするとすぐに奇声をあげてねっ転がります。

寝起きは悪く、1時間以上ぎゃーぎゃーと泣き続けます。
もともとそういう性質の子なんだと思っていました。
そういう子の対応の本を読んだりしました。

無料相談を受けて世代間連鎖を知り、まるで検討違いなことをしていたとわかりました。
私の過食嘔吐が、私の病気が原因だったなんて、情けなさすぎます。
誰にも迷惑をかけないストレス解消方法だと甘えていたのが、よりにもよって子どもが被害を被っていたのですから。

気付けば1日中過食をしているわたし

女性 学生 21歳 A型 東京都

17歳の頃はひどい時で週の半分に普通の食事以外に500円位の過食をしていた。

過食の引き金になるのは主に勉強で、
毎日の予習復習の時はそんなに酷くなかったが、
テスト週間には酷くなっていた。

初めは代償行為を知らなかったし、
知ってからも恐怖が勝って代償行為は行っていなかった。

しかし、チューイングに手を出してしまったりするようになった。
現在は行っていない。

現在21歳でひどい時は週の半分以上に普通の食事以外に
1000円位の過食をしてしまうことがある。

過食の引き金は勉強や人間関係、就職活動の焦りなどである。
コンビニに立ち寄る回数も増え毎日行ってしまう。

以前は過食の引き金に人間関係はあまり関与していなかったし
勉強もテスト前だけであったが、
現在は勉強する前はいつも、ちょっとした人間関係さえも
過食の引き金になってしまうようになった。

さらに同じ環境で比べるとすると実家での過食症状となるが、
現在では実家に帰った時には毎日1日中過食していることが多い。

また過食嘔吐もゼロだったのが最近2回程してしまったし、
下剤も使用していなかったが最近4.5回飲んでしまった。

増える過食症状

女性 会社員 23歳 A型 香川県

過食症再発。
私は三ヶ月おきくらいに、過食が再発します。

去年は6月くらいから11月くらいまで過食が続いていました。

チューイングはなく過食のみでしたが
1日3000円程度を食べ、気持ち悪くなり寝る。という状態で
仕事も2日休んだことがあります。

食べて太った自分が醜く家から出れずに
食べては寝てを繰り返しました。

その頃は、食べた次の日は一口も食べずに
また次の日たくさん食べてと繰り返していました。

それから、3ヶ月は好きな人と連絡を再開したこともあり、
症状は収まり、綺麗にならなくては。という気持ちや
連絡を取れることへの嬉しさから過食は自然と止まり、
昔のように運動をしたり休みの日は化粧をしたり買い物に行ったり、
活発に動けるようになりました。

しかし、今年の1月の末から、連絡が途絶え始め
また前のような症状が起こるようになりました。

食べ物のことしか考えられず、何かで満たされたい。
何もしたくない。何も考えたくない。
食べるしかできない。食べなきゃいけない。

そんな気持ちで食べました。

今回から噛み砕いて飲み込まなければ太らないで
たくさんのものが食べれると思い、噛み砕いては捨てを繰り返すと、
自然と食べる量が増えました。

また、時間も増え、
以前は食パン一斤で満足していたところが、
4斤が普通になってきました。

下剤も以前は3日に一回であったのが、
今は1日に二回飲むこともあるようになりました。

量は以前同様に一回7錠です。