本当はこわい。過食症と過食嘔吐

センターの相談を受けた方に過去の体験を綴ってもらいました。専門スタッフによる「過食が止まる無料相談」も行っています。

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私の過食歴

女性 会社員 31歳 A型 東京都
もう少し詳しく書くように先生からご指導を受けました。

中学生まで…ヤセ気味。

高校生になり食に目覚める!(家系も大食い体質カモ)
高校二年・・・膝を痛めたの(手術1回目)を機に10㌔太る
大学時代・・・ダイエットとリバウンドの繰り返しで最終的に65㌔↑くらいまで増えた。
この頃は、あまり吐いたりすることはなかった(というか出来なかった)
大学三年・・・何度目かのダイエット失敗と人間不信からプチ引籠り(一週間くらい)自殺しようと遺書を用意し、市販の精神安定剤を買いためていた。
寸での所で母親に止められ、心の思いもぶちまける事が出来て復活。

大学四年・・・就職活動をしていたら少し体重が減ってきた。
精神的に安定し彼も出来たのを機にダイエットし、最終的には48㌔まで落ちる。
この頃から維持をしようと嘔吐が始まる。

25歳くらいまで・・・仕事を続けながら、過食嘔吐をくりかえす毎日。
時にはお店(職場)の食品を盗んで過食することもあった。
嘔吐が原因で実家にも辛くなり、家出状態。
そんなある日膝をまた痛めて近くの病院で再手術。
(2回目)
25歳のとき・・・・交際相手が変わり、彼の家で暮らす様になったこともあり病状が安定。

26歳のとき・・・・スロットにはまり、過食嘔吐は全くなくなる。

29歳のころ・・・・転勤先の上司と合わず、大学卒業から続けていた会社を辞める。
ネットゲームにはまる、この頃は過食嘔吐は過去の出来事と思っていた。
下剤も1週間に1度飲む程度。
  
1年半前・・・・ネットゲームで知り合った今の彼と付き合い始める。
田舎から上京し東京で同棲を始めるが喧嘩ばかり、時には暴力も受けた→適応障害、パニック障害気味。
喧嘩が始まると、自分を守ろうと包丁を持ったりするようになるが、過食嘔吐はまだ収まっていた・・・

1年前・・・・・東京で派遣社員として勤めを始める。
対人ストレス増加。
入社一ヶ月後に、不注意から膝の古傷を痛める。
仕事始めたばかりで、また手術となると困るので、辛かったが病院にも行かず痛みを堪え仕事を続けた。
しかし古傷再発のショック+職場のストレス+彼と性格の不一致など、私の我慢もついに限界に達し、過食嘔吐がまた始まる。

去年の6月・・心療内科で過食症の相談をする。
彼も1度付き添いをしてくれた。
5.6回通った。
ルボックス、デパス、リタリンなど処方されるが、最初こそ効いた気がしたものの、やはり治まらなかった。
自殺願望も強くなる。
最終的に先生に「あなたは元々ガマンの器が小さいから…根本的治療は薬では難しい…」のような事を言われた。

去年の8月・・病院も当てにならない。
と思ったら薬に頼るのもなくなり安定剤全く飲まなくなる。
お盆やすみ実家に一度帰る。
(気分転換)一人暮らしをはじめる為に貯金をしようと、仕事の休みの日もアルバイトを始める。
このとき最低体重は45.8㌔ 過食嘔吐は数日ガマンしてまた再発。。とか

      
去年の11月・・悪循環を続ける日々、また膝を痛めてアルバイトができなくなる。
今回は病院に行った。
絶望的になって、ありったけの薬を手当たり次第飲んだり自殺未遂ぽい事もした

     
今年1月・・・・一人暮らしをはじめる。
彼と別居することで安心できる時間を得る事はできた。
しかしその自由な時間があるからこそ、誰の目を気にせずに過食できてしまう環境となり、買い食い+嘔吐がひどくなる一方。

今年2月・・・・下剤の乱用+食中毒で救急車に運ばれる。

一昨日まで・・・毎日3000円くらい買い込みをして、大食い選手並みに過食→嘔吐。
十二指腸まで詰まるほど食べるため、全て吐けず太り始める。
現在50㌔くらいかなぁ。
このままでは破産すると思い、毎日死ぬ事ばかりを考える・・・センターに出会う

私の過食症歴

女性 自由業 36歳 B型 埼玉県
発端は5年前、育児と仕事の両立の疲れが発端でした。
主人の収入の激減とリストラで自分の両親の元へ急遽世話になることにしたものの、子供も幼稚園から保育園にかわらなければならなくなり、私の仕事も自分の実力以上を求められるハードな毎日を過ごし、朝も6時に起きて子供の朝食と公文を見てあげてから保育園に送り、自分の身支度と仕事の用意をして出勤。
残業をしながらも保育園の時間ぎりぎりまで仕事をしてお迎え。
時には一度迎えて食事を作り主人の帰りを待ちさらに仕事に戻るという日々でした。
そのあたりから食事と睡眠が思うように出来なくなっていました。
アルコールでかわす毎日の中、ファザーコンプレックスといわれるほどの最愛の父が急死。
それでも仕事と育児に追われ悲しむ暇もなく過ぎていく日々をやり過ごすのはアルコールと過食でした。

趣味がパン作りケーキ作りだったため気晴らしに深夜作ることも多く、それを一人で全部平らげる毎日。
それに加えてアルコールで自分を見失うこともしばしば。
そこへある日パニックと思われる症状がでて、入院。
強制保護の為わけもわからず3ヶ月の入院を虐げられ、退院して安定剤と睡眠薬を服用したものの、仕事は休まず、もちろん家事も育児も。
そんな疲れを取る為か、気晴らしなのか、過食はどんどん増すばかり。
お酒も量が増え、病院のお世話になるのもしばしば。
そして摂食障害の治療の為の入院。
しかし退院してもまた一年後にはリターン。
仕事もクビになり、自分の母親と同居を始めましたが、家族は上手くいかず。
そして離婚。
その間も自分の気持ちを過食で打ち消すかのごとく、自分ではどうしようもない力で過食がおきていました。

しかし、これではいけないと昨年の秋に自己判断で精神科通院も薬も止め、ひどく2ヶ月間は苦しみましたが8ヶ月たった今は通院も薬も何にも頼らずにいられるようになりました。
しかし、何かあるとすぐ過食。
しまいには、「よーし、今日は思いっきりやってやる」などと変に開放して過食をとめることなく恐ろしい尋常な食べ方をしては嘔吐。
それでも痩せた体をキープしながら食べたいものを我慢しないで思いっきり食べても大丈夫だという認識になり、過食も嘔吐の苦しさも死にたいほどの悲しさになるリスクがあっても、そして食べ出したら止まらない、泣きながら食べている自分をも許していました。
いや、あきらめていたと思います。
こうやって苦しむのだろうと。
入院しても通院しても薬を飲んでも治らなかった最後の一つの病は過食。
これは一生自分の弱さの病気というか、病気という名の甘えを。
それでも苦しくて、辛くて、もう過食とはお別れしたい、しようと何度も試みては失敗。
そんな日々の5年間。
とうとう終止符を打てるように頑張ります。
今度こそ。

私の過食暦

女性 会社員 28歳 A型 山口県
私の過食暦を書きます。
私が過食嘔吐したのは高校三年生でした。
私はその頃好きな人がいて、はっきり言って、勉強より部活よりダイエットが趣味とばかりに痩せて綺麗になりたかったんです。
痩せたらその人と両思いになれる、告白できる勇気が出るって思ってました。
りんごダイエット、蜂蜜ダイエット、トコロテンダイエット、水のみダイエット、鈴木式ダイエット、もういっぱいやりました。
でも結局リバウンドしては元通りで…。
そのときにはいっぱいダイエットの知識があって、過食症の事も知ってました。
でも私はそんなに意志の弱い人間じゃないと思って関係なく過食症の記事とか読んでました。
ダイエットをしてた時、外食しなくてはならなくて、日ごろよりカロリーの高いドリアを食べてしました。
太りたくなくてどうしようと悩んでたら過食症の記事に載っていた『吐く』という事を思い出しました。
その時は1回だけだからと思いトイレで戻しました。
手を使うわけでもなく簡単に吐くこと出来ました。
そして、そのとき『これで太らなくてすむ』と喜びました。
それから過食嘔吐はなく、次は社会人になってからです。
職場に食べたら戻すという先輩がいました。
その人は普通に食べたら戻すのが日常だといって明るく過ごしていましたね。
わたしは初めての職場でストレスでご飯がホントに食べれなくなって痩せてしまいました。
夜くらいしかまともにご飯が食べれなくなってました。
1年位して今度は反動からか、休みの日に過食が始まりました。
その時はパンを3個とかお弁当を2個とかを食べて戻すのが1日に1回位。
その後仕事をやめて新しい職場に変わりその頃は人間関係になじめず、過食は1週間に3~4回。
すべて過食嘔吐です。
仕事が変わるたびになじめない自分から逃げるように毎日毎食となり、休みの日には1日中と
いう次第になりました。
量も段々増えていき、一気にご飯4合に食パン1斤とかを食べて吐く。
しかも吐きやすい食べ物とかを経験で覚えて、吐くために炭酸の飲み物を一気に飲み一気に戻すというやり方になりました。
よだれと涙が混じってぼろぼろになりながら吐くために食べるのか、食べたいから吐くのわからなくなりながらトイレで途方にくれていく毎日。
でも体を鞭打って仕事にバイトに行きました。
ほんとに辛くてどうしようもない毎日でした。
でも今は先生からの『するべき事』を頑張ってやってます。
お母さんに、単身赴任の父に報告し、母親と過食症についてご飯を食べながら話してます。
これから改善して行くためにも電話相談、書き込み頑張ります。