本当は怖い。過食症と過食嘔吐ブログ

過食症の体験談がまとめられたブログです。

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タグ : 万引き

過食を優先し、母の死に目に会えませんでした

女性 主婦 45歳 AB型

摂食障害になり27年。
色々なことがありました。

始めはダイエットから拒食症になりました。
体重が15キロ近く落ち、ガリガリでしたが綺麗になったと満足。
でも生理は止まり、婦人科で薬を処方してもらい、生理が戻るまで1年近くかかりました。

拒食症から過食症になった時は、4ヶ月くらいで15キロ太りました。
この時の過食衝動は激しく、歩いていても食べ物のお店があると吸い込まれて、結局目的地に着けずに帰宅することがよくありました。
こんな状態だから学校にも満足に通えず、短大は中退しました。

過食嘔吐が日常になってからは、お金がとにかく無くて…万引きするようになりました。
自暴自棄になり、洋服も万引きし、しまいにはスーパーのかご一杯に万引きするようになり、
最終的に警察に逮捕されました。
警察に逮捕されたことは恐ろしかったので、万引きはここで終わりました。

母をガンで亡くしたのですが、
母が亡くなる前日、珍しく「病室に泊まっていって」と言いました。
個室だったので、家族も寝泊まりできたんですが、
私は過食をしたくて、明日から泊まると言いました。
翌日、病院に行くと母は意識不明で、そのまま亡くなりました。
過食をしていて最後に母と居られなかった…と、長い間後悔しました。

過食が発症して10年目くらいのころ自殺未遂を起こしました。
過食ばかりの自分が嫌、でも過食は止められない。
死ねば今より楽になるのでは…と、迷いましたが決行しました。
実際は、意識を失いそうになったとき、死ぬのが怖くなり、兄に助けの電話をかけていました。

最初の結婚は、私の過食症が原因で離婚しました。
過食は甘えであって、過食をしている私といることが耐えられない、と言われました。

体への負担は、歯にきました。
過食嘔吐をするので歯槽膿漏が進み、歯を支える骨が溶け始めています。
まともな歯は前歯数本だけ。インプラントでお金がすごくかかりました。

過食だけ解決しない病院治療

女性 学生 22歳 O型 兵庫県

兵庫県の阪急岡本の近くにある、いずみハートクリニックで、食べてないから過食するんだと言われて、ご飯と揚げ物を食べるよう言われて食べてました。

あと、うつと診断されて、薬を飲みました。
だんだん量が増えていき、勝手に止められないほどの量と強さの薬を飲んでいました。

その後、そううつと診断されて、おかしいと思い、セカンドオピニオンを受けます。

大阪のかく・にしかわで、そううつではないと言われてからは、神戸三宮の心理療法センターでカウンセリングを受けています。

行動認知療法を教えてもらい、解決した問題もあるのですが、過食だけはなかなか治らず。

それで、ここの無料相談を受けています。

今は母に、また、かく先生のとこに行ってと言われています。

かく先生は摂食障害の治療をされてるそうなのですが、わたしは行っても治らないんじゃないかな…て思ってます。

今まで、薬を飲んで良くなったことはないです。

でも、母にしたら、アルコールか万引きに手出しそうになるって言ってる娘には、とにかく病院に連れて行きたいんだと思います。

余計なこと言ってしまった。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

入退院を繰り返しても・・・オーバードーズ、万引き、止まらなかった過食嘔吐

女性 主婦 31歳 A型 茨城県

初めて、病院にかかったのは発症して三か月くらいたってからでした。

自分で、この食べ方はおかしいと思い、長崎市立病院の心療内科を受診しました。

正直、その時の診察内容は覚えてませんが、私の中の気持ちの変化は全くなかったと思います。

それから一年くらい経って、祖母のお金を盗んだことが発覚し、親から強制的に大村共立病院というところに入院させられました。

その病院は主に、思春期病棟というところがあり、思春期の子供たちが入院していて、病院というよりは寮という感じでした。

私は個室で、自分の部屋と変わりないぐらい悠々自適な生活ができました。

摂食障害ということで入院していたので、食事制限、買い物には制限がありましたが、悪知恵が働き、あの手この手を使い、過食嘔吐を続けてました。

その時の主治医は野口先生といい、とても優しく、よく話を聞いてくれました。
その先生には、わりとなんでも話し、そして依存していってしまいました。

一日一回、主治医とカウンセリング、毎食後に抗うつ剤を服用するなどの治療でした。

また、その病棟は色んな精神病をもった、そして歳も近い子がたくさんいて、楽しかったのですが、駄目なことに、そういったつながりで、万引きやオーバードーズを覚えてしまいました。

二十歳も超えていたこともあり、水族館にアルバイトとして病院から特別許可をもらい、病院から通っていました。

ときどき、宮田先生という摂食障害専門の先生の話もありましたが、全く響くことなく、逆に反発したくなったりしました。

三か月ほど入院したところ、主治医の野口先生が佐世保の愛恵病院に転勤することになり、私はどうしても野口先生がよかったので、追いかけることにしました。

共立病院の退院が決まり、なぜか興味本位で、はじめてのオーバードーズをしました。

その際、宮田先生は退院させるべきではないと言っていましたが、母はこれ以上この病院にいたら、ますます悪いことばかりを覚えてしまうと思い、押し切って退院しました。

長崎市から佐世保まで約二時間…月1のペースで診察を受けました。

診療時間は一時間~一時間半。
そしてルボックスなどの抗うつ剤を処方されました。

先生と話すことがなによりも楽しみだったので
往復四時間の移動も苦ではありませんでした。

そして、長崎市の保育園に就職。

しかし、仕事のきつさや、人間関係で症状は悪化…
オーバードーズをを繰り返したり、左足の足首から下をカッターなどの刃物できるなど、過食嘔吐以外のことまでするようになりました。

オーバードーズををするたびに、母や姉は泣き、救急車で運ばれ、胃洗浄、一日入院などしました。

足を切るときはわりと深く切るので、外科に行き何度も縫う羽目になり、そこの看護師さんが泣きながら、もうしちゃ駄目だよ。と何回も言われました。

それでも治ることはありませんでした。

そして、ついに職場に迷惑をかけれないということで、仕事を辞め、愛恵病院に入院することにしました。

ところが、その愛恵病院は重度の精神病の患者がたくさんいて、共立病院と比べると恐ろしいくらいに違い、奇声をあげたり、文句をつけてくる患者もいて、私の精神もすっかりおかしくなりました。

そして、オーバードーズをしました。

ところが、その薬が体に合わなかったのと、発見が遅れたことで、意識が混濁し軽い昏睡状態におちいりました。

その時初めて、死を感じたと思います。

そのオーバードーズのおかげ?で
オーバードーズ、足を切る行為は全くしなくなくなり、過食嘔吐もパタリとやみました。

愛恵病院を退院し、新しい職場に母のコネで働けるようになりました。
そこはこじんまりとした幼稚園ではありましたが、人間関係も良く、仕事も母がフォローしてくれたのもあり、とても働きやすかったです。

でも次第に過食嘔吐の誘惑に負けてしまい、再発…。

それまで週1で愛恵病院に行っていたのですが、このまま依存してはいけないと思い、長崎市の三和中央病院へ転院することにしました。

その時の先生が松本先生と言い、言い方はざっくばらんとした感じではありましたが、印象は良く、通院することにしました。
診察時間は10分程度でしたが、話した後はすこしだけ心が晴れました。

それから、過食嘔吐が日常化したある日、お金に困った私は、食料を万引きし、警察に捕まりました。

初犯であったことや、両親が近くにいたこともあり、職場に知らされることはありませんでしたが、あの時の母の顔が忘れられず、それは今でも私の心の中に焼き付いて離れません。

それでも過食嘔吐をやめることができなかったので、両親はもう二度と万引きさせないように、過食費を出してくれました。
それに甘え、毎日夕飯、夕飯後に3回過食嘔吐をしていきました。

昼は園児がいるので小さいお弁当を作りそれはどうにか食べていました。

しかし、体重が極端に落ち、春休み、冬休みをつかい三和中央病院に入院することになりました。

そこでは、体重増加が目的であったので、過食嘔吐は自由にできました。

新学期が始まると退院し、また通院の日々でした。
特に症状が変わることなく、10分程度のカウンセリング、抗うつ剤の処方…

それが三年ほど続いたのですが、一向に良くならないので、次第に通院から足が遠のき、行かなくなりました。

薬がなくても過食嘔吐ができれば、精神は安定していました。

過食嘔吐以外はすべて順調で私自身、過食嘔吐が当たり前のせいかつになっていました。

そして現在、やはり一人では何も解決できないとわかり、この無料相談に相談することにしました。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

疲れました

女性 主婦 42歳 B型 大阪府

摂食障害になって。。
昔は、かなりふっくらした女の子でした。でも太っているコンプレックスにいつもさいなまれていました。
性格は温厚でいつも笑っていました。

今は、時間ばかり気にしている、イライラマンです。
子育てで、時間があまりなく いつも誰かのスケジュール管理の毎日ってこともありますが
それにまして、自分の過食に時間、トイレの場所も考えないとダメで、それに合わせて 動かないと
イライラ・・・・
母に、目が釣りあがってる。人相が変わった、昔はやんわりした顔の子だったのに とよういわれます。過食が人相まで変えてしまいました。。

辛いのは、子供にやはり時間のこと気にしてイライラ当たること。
早く治しておおらかな気持ちで子育てがしたい。。

悲しいことはどこに行っても、何を食べても、その場所のトイレの場所を一番に覚えていること。

楽しめているのか。いつも食事のことばかり考えている気がします。

将来は旦那さんとのんびり田舎で暮らしたいのに
のんびりどころか、生きているのか。。。と思う日々。

家族はみな私のしていることを知っている。
旦那に至っては、治そう=食べれない、食べない 拒食になり
余計イライラが募るので、食べて吐くほうがまだまし、と諦めている感じ。
その理解が有難いやら 悲しいやら、でも責められてもどうしようもない気持ちで。。

不倫、万引き 実はどちらも経験。

食べたくて、どうしようもなく、でも持ち金がなく、万引きして
トイレで食べる始末。。

不倫は、不倫相手におごってもらい 無料で食べることが出来たから。
悪いこともたくさんしました。。
でも、ここは やはり 過食嘔吐の病気とは違い、自分でなんとかセーブして
ずっと続けているわけでなく、
やっていません。。

でも、このまま 何年も続く、過食嘔吐を思うと、
怖いもあり、それに なんだか、疲れました。。。

実は、もう食べたいもの、食で これが好きってのが無くなってきてます。
食べれるものならなんでもいい。
辛いもの食べて、甘いもの食べて、またご飯食べて、また甘いもの食べて・・・
ただ、口に入れるのみ。

最後には味覚がおかしくなります。

どうか・・・誰か、助けてください。。

私の親

女性 主婦 40歳 A型 東京都

とにかく母が理解出来ないし怖かった。
鬼のような形相で怒り、叩き、引き回した後は「あんたは私がお腹を痛めて生んだ大事な子。お母さんが間違ってる?違うよね?」といっておもいっきり抱きしめられた。
なにがなんだかわからないままだったが、母は納得したような顔をしていた。

拒食症になったのは15歳の時です。
たべない私に母はヒステリックに毎日怒鳴り散らしました。
食べるようになると毎日大量のオヤツを買ってきてくれました。
とても喜んでくれました。私は毎日沢山食べました。

そして今度は過食症になりました。
母は「いつまでオヤツを買い続けなければならないんだ!」
「冷蔵庫が空だ!家計をくいつぶすつもりか!」と怒鳴りました。

私は自分でもどうしていいかわからず、万引きもしました。

夜、親が寝てから、お餅を大量に焼いていると、母が起きてきて叫びました。
「お父さん!見て! またこの子があんなことをしてる!」

父が起きてきてこう言いました。
「お前はキチガイか!」

2人して、「なんで何度言ってもそんなことをして、親を苦しめるのだ!」 と私をしかりました。
私はどんどん隠れて食べるようになりました。毎日と言っていいほど泣きました。

母は祖母にも泣きながら相談しました。
祖母も「なんでお母さんを苦しめるんだ?」と言いました。

私は家を出ようと決意し、20歳で上京しました。
しかし過食は続くどころか、使えるお金が出来た分悪化して行きました。

今は母は、離れているからか帰省してももうなにも言いません。
過食のことも話したことがあるので、理解はしていると言います。
しかし、やはり「吐く」とか「過食」という言葉を口にすると目を背けるというか、嫌そうにします。
私はそれがとても悲しいです。
過食を理解したといってくれているけれど、本当の私を見ようとしてくれていない。
今でも母に対して「ぶち切れる私」の夢をみます。
今はどなられることもなにもないのに、なぜそういう夢を見続けるのか、わかりません。
でも、母との関係を思うと、今も心の奥が痛いです。

過食嘔吐の10年

女性 会社員 34歳 B型 宮城県
最初は、極端なダイエットから始まった。
39キロまでやせ生理も止まり、万引きなどして補導されたりもした。
食べるのが怖かった。身体もしんどくて周りからは心配されたが気持ち悪いとも言われた。
過食嘔吐が始まったのは1人の時間が長く寂しかったことは覚えている。
最初は、週に1~2回だったのに、あっという間に毎日に増え、酷いときは1日3回という時も…。
泣きながら食べたこともあった。
でも、今思うと食べて吐いてスッキリして止めたくなくて10年経ってしまった。
最近、いつかは止めないと毎日思うようになった。今がいいチャンスだと思う。
もう、こそこそと食べるのは嫌だ。家族と楽しく食事がしたい。

軽視していた、増えていく過食症状

女性 学生 20歳 O型 大阪府
私が、過食嘔吐を始めたのは高校1年生の半ば頃。
昔から食べる事が大好きで、それでも小学校の頃は走り回るのが大好きで、『お腹いっぱいだから残りは明日食べよう。』と言う事を分かっており普通に痩せ体型だった。
どうしたらあんなにお肉がつくのかな?って…
けど中学校へ上がり友達関係に悩むようになり、思春期になって食べる事でストレスを発散し続かないダイエットをするの繰り返し。
高校では、気づけば最大の71キロに。
ある日食べないダイエットをしていたら気づけば空腹が快感になり県外に出ていた兄が作ったカレーを食べたら止まらなくて鈴木その子物語という、我が子が過食嘔吐で自殺してしまう漫画を思い出し指を突っ込んで吐くようになった。
最初は二日に一回だったのに、バイトをするようになり廃棄物を沢山持って帰って吐くように…
最大で二カ月止まった事があった以外、高校卒業し、1人暮らしをするようになってから一目を気にせず過食嘔吐が出来るのが幸せで、量や回数は拡大に増えお金が無くなり…
それでも症状を抑える事が出来なくて万引きにも手を染めて捕まった。
気づけば、二日に一回が毎日に、毎日が一日二回に…
軽視していたことを直面しこんなに怖い事だとは思わなかった。
四月から社会人になりストレスになった分せっかく働いたお金を過食嘔吐に費やすなんてしたくない。
けど、いつか治るなんて思ってたら本当に現実になってしまう。
だからこれ以上悪化しないように決別して、自分の人生を意味ある生活にできるように頑張ろうと思います。

悲惨な摂食障害

女性 会社員 25歳 B型 東京都
沢山のものを失ったけど得たものもある、この経験は無駄ではないと思わないと生きてこれなかった。
あっというまに11年たってしまった。
つらいけど働けることが、なんか複雑な気持ちなる。
働いてるし、というか、働かないといけないなら働いているけど、会社の人にわからない苦労をしながら成果を出さなければならないっていうのがきつい。頑張らなくていい選択をすべきか、悩んでいる。
総合職だから、過食費用を負担に感じないけど、過食か続いたら意味ない。
学生のときからずっと理不尽な、やり場のない気持ちですごしてきた。
本気で治したくてカウンセリングに通って、入院したけど、病院はぬるい感じにいらいらしたりした。
こんなんで治るわけないと冷静に思った。
拒食から過食になったばかりの時、太る自分が死ぬほどいやで、受け止められなかった。
父親は拒食のときは優しかったけど、過食になると、厳しくなった。
義理の母にも、父にもうちとけられなかった。
とにかく頑張って生きたと思う。
父は言葉の暴力がひどく、実際にてをあげることもあった。
居場所がなかった。
お金がないから万引きをした。
家のなかの食べ物を片っ端から食べた。
義母にばれないように、同じものを慌ててスーパーに買いに行く、でもまた我慢できず食べる、の、繰り返しで地獄のようだった。
なんのために生きてるのかわからなかった。
普通の高校生のふりをするのにどれだけのエネルギーがいるんだ、と思った。
朝、起きて学校にいく、当たり前のことが、難しくて仕方なかった。
父に暴言をはかれるたび手首を切らずにいられなかった。
授業中、呼吸ができなくなったり、涙がでてくるから、授業に出られなくなった。
過食になってから成績が信じられないほど下がって、自分を受け入れられなかった。
勉強どころじやなかったから仕方ないけど、当時はやっぱり情けなくて悲しかった。
浪人して、家を追い出される形で寮にはいった。父から離れられたから大丈夫とおもっていたけど違った。
眠れない。呼吸できない。食べたくてしかたない。寮生活は過食の人には過酷すぎた。
でも、家をでて自由に病院に行けるようになったので、心療内科に行った。とにかく眠りたかった。
睡眠剤で眠れたときは感動した。
医者に言われた。
無理しなくていいから行ける大学に行きなさい。
プライドを捨てて行ける大学に行った。といっても大学は今思うと、そこがベストだった。
大学で過食がひどすぎて15キロ増えた。
生活できないから入院した。
一人で生きていかなきゃ、と思って必死だった。
病院にいくと親と一緒のこたちがわがままそうにみえてなんか、いやだった。
というかうらやましかった。
当時は、誰も助けてくれないんだから社会とたたかわなければ、力をつけなければ、と頑なに考えていた。
今思うとそんなことないとわかるけど。
入院生活は、過食をごまかせたし、ああ、結局なおらないんだな、と思った。
20キロちかくダイエットだけして、退院した。
大学を卒業できないかもしれないと思って、留年費用 とか病院の、費用とか、そうゆうのを稼ぐために水商売を始めた。とりつかれたように稼いだ。お金をためることだけが安心につながった。
心身ともにぼろぼろだった。稼いでいれば、過食費用で不安になることはなかった。
心が空洞で、沢山の男の人と遊んだ。心が貧しくなる一方だった。
いつもいらいらして、悲しくて、痛くてしかたなかった。
育ててくれた祖父も祖母も亡くなってしまったし、心が帰る場所がなかった。
強くならなければいけないと思った。大学3年のとき就活した。
ちゃんと立派になろうと思った。働けなくなったらどうしよう、とか怖かったけど摂食障害になる前の私なら、本来ならなんでもできるんだからと言い聞かせて踏ん張った。
結局、自分にむちをうって会社を選んだ。
今思うのは、もう、戦わなくていいんじゃないか、ということ。
誰のためでもなく、私のために、働いて、幸せになっていいんじゃないかな。
会社の名前とか、肩書きとか、本当はどうでもよくて、私に大事なのは、心が喜ぶ生き方をすることなのでは。。
学生時代の苦しすぎる経験は、大人になってから、ふりかえらないようにしてきた。
振り返ってもいみないから。
でも、改めておもいだすと涙が止まらないし、苦しくて仕方がない。
今も、毎日過食嘔吐しながら、なにもなかったかのように会社で、頑張ることを続けてるけど、そんなんもうやめにしていいんじゃないかな。
少し楽をしても、あとでちゃんと幸せになれるよね
そう思わないともうどうしようもない。

「お前はキチガイか!」

過食したり、意図的に嘔吐したりする行為は、きっと傍から見ると異常な行為でしょう。

過食や過食嘔吐の症状は本人の体だけでなく、家族や友人との関係も破壊していく可能性があります。

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女性 主婦 40歳 A型 東京都

拒食になったのは15歳の時です。
たべない私に母はヒステリックに毎日怒鳴り散らしました。
食べるようになると毎日大量のオヤツを買ってきてくれました。とても喜んでくれました。
私は毎日沢山食べました。
今度は過食になりました。

母は「いつまでオヤツを買い続けなければならないんだ!」「冷蔵庫が空だ!家計をくいつぶすつもりか!」と怒鳴りました。私は自分でもどうしていいかわからず、万引きもしました。

夜、親が寝てから、お餅を大量に焼いていると、母が起きてきて叫びました。
「お父さん!見て! またこの子があんなことをしてる!」
父が起きてきてこう言いました。
「お前はキチガイか!」

二人して、なんで何度言ってもそんなことをして、親を苦しめるのだ と私をしかりました。
私はどんどん隠れて食べるようになりました。毎日と言っていいほど泣きました。
母は祖母にも泣きながら相談しました。
祖母も「なんでお母さんを苦しめるんだ?」と言いました。
私は家を出ようと決意し、20歳で上京しました。

しかし過食は続くどころか、使えるお金が出来た分悪化して行きました。
今は母は、離れているからか帰省してももう何も言いません。
過食のことも話したことがあるので、理解はしていると言います。
しかし、やはり「吐く」とか「過食」という言葉を口にすると目を背けるというか、嫌そうにします。
私はそれがとても悲しいです。

過食を理解したといってくれているけれど、本当の私を見ようとしてくれていない。
今でも母に対して「ぶち切れる私」の夢をみます。
今は怒鳴られることも何もないのに、なぜそういう夢を見続けるのか、わかりません。
でも、母との関係を思うと、今も心の奥が痛いです。

歳月は何も解決しない

『過食症で人生を狂わされた』という人はたくさんいます。

「ここまで酷くない」と思った方、未来は誰にも解りません。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 主婦 27歳 O型 宮城県

初めて自分がオカシイと気づいたときは小学生のときでした。
ご飯を8杯食べても、お鍋いっぱいの味噌汁を飲んでも、なんだか満たされない。
それが過食の1番古い記憶です。
お母さんや祖母にによく叱られていました。「食べ過ぎ!」と。

お腹はいっぱいなのになぜか一度食べ始めると箸を置けなくて、自分でもそんな自分の状態に不安を感じているのに、家族には言えませんでした。

中学生、高校生と成長するにつれて、過食も本格的に酷くなっていきました。
学生時代は吐くことを知らず、ものすごく太っていました。

お小遣いなんかじゃ過食費は賄えなくて、万引きばかりして、警察に何度も捕まりました。
学校で友達のお弁当やお金も盗みました。
同じ学校の好きな人にも、太ってることをからかわれ、あまりの辛さに高校を中退しました。

中退後は親との関係も最悪で、家に帰る気もせず、売春しながら過食してくらしていました。

そして、痩せたい一心で覚醒剤にも手を出しました。
吐くこともおぼえ、あっという間に体はぼろぼろになっていきました。

もう、頭の中は食べものと痩せることで埋め尽くされていて、その2つから開放してくれる覚醒剤は自分の中で神と崇めるほどのものとなっていたした。
でも、最終的には鬱になり、覚醒剤では過食症は何も解決できませんでした。

かといって他の解決策もわからず、過食嘔吐をかかえたまま、幼かった私は気がついたら27歳の大人になっていました。

傷ついた子供の私が27歳の私の中で、辛いから、紛らわしたいから、お願いだからお菓子を頂戴と泣いている。

でも、傷ついた心は、チョコレートや菓子パンでは癒えなくて、更に傷だらけになっていった…

過食症はとても恐ろしい病気です。
放っておけばガンと同じような進行性、致死性の病だと思います。

私はたくさんのものを失いました。
お金、時間、健康、友達、信用…
数え切れません。

でも、きっときっと取り返します。