過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

悲惨な摂食障害

女性 会社員 25歳 B型 東京都
沢山のものを失ったけど得たものもある、この経験は無駄ではないと思わないと生きてこれなかった。
あっというまに11年たってしまった。
つらいけど働けることが、なんか複雑な気持ちなる。
働いてるし、というか、働かないといけないなら働いているけど、会社の人にわからない苦労をしながら成果を出さなければならないっていうのがきつい。頑張らなくていい選択をすべきか、悩んでいる。
総合職だから、過食費用を負担に感じないけど、過食か続いたら意味ない。
学生のときからずっと理不尽な、やり場のない気持ちですごしてきた。
本気で治したくてカウンセリングに通って、入院したけど、病院はぬるい感じにいらいらしたりした。
こんなんで治るわけないと冷静に思った。
拒食から過食になったばかりの時、太る自分が死ぬほどいやで、受け止められなかった。
父親は拒食のときは優しかったけど、過食になると、厳しくなった。
義理の母にも、父にもうちとけられなかった。
とにかく頑張って生きたと思う。
父は言葉の暴力がひどく、実際にてをあげることもあった。
居場所がなかった。
お金がないから万引きをした。
家のなかの食べ物を片っ端から食べた。
義母にばれないように、同じものを慌ててスーパーに買いに行く、でもまた我慢できず食べる、の、繰り返しで地獄のようだった。
なんのために生きてるのかわからなかった。
普通の高校生のふりをするのにどれだけのエネルギーがいるんだ、と思った。
朝、起きて学校にいく、当たり前のことが、難しくて仕方なかった。
父に暴言をはかれるたび手首を切らずにいられなかった。
授業中、呼吸ができなくなったり、涙がでてくるから、授業に出られなくなった。
過食になってから成績が信じられないほど下がって、自分を受け入れられなかった。
勉強どころじやなかったから仕方ないけど、当時はやっぱり情けなくて悲しかった。
浪人して、家を追い出される形で寮にはいった。父から離れられたから大丈夫とおもっていたけど違った。
眠れない。呼吸できない。食べたくてしかたない。寮生活は過食の人には過酷すぎた。
でも、家をでて自由に病院に行けるようになったので、心療内科に行った。とにかく眠りたかった。
睡眠剤で眠れたときは感動した。
医者に言われた。
無理しなくていいから行ける大学に行きなさい。
プライドを捨てて行ける大学に行った。といっても大学は今思うと、そこがベストだった。
大学で過食がひどすぎて15キロ増えた。
生活できないから入院した。
一人で生きていかなきゃ、と思って必死だった。
病院にいくと親と一緒のこたちがわがままそうにみえてなんか、いやだった。
というかうらやましかった。
当時は、誰も助けてくれないんだから社会とたたかわなければ、力をつけなければ、と頑なに考えていた。
今思うとそんなことないとわかるけど。
入院生活は、過食をごまかせたし、ああ、結局なおらないんだな、と思った。
20キロちかくダイエットだけして、退院した。
大学を卒業できないかもしれないと思って、留年費用 とか病院の、費用とか、そうゆうのを稼ぐために水商売を始めた。とりつかれたように稼いだ。お金をためることだけが安心につながった。
心身ともにぼろぼろだった。稼いでいれば、過食費用で不安になることはなかった。
心が空洞で、沢山の男の人と遊んだ。心が貧しくなる一方だった。
いつもいらいらして、悲しくて、痛くてしかたなかった。
育ててくれた祖父も祖母も亡くなってしまったし、心が帰る場所がなかった。
強くならなければいけないと思った。大学3年のとき就活した。
ちゃんと立派になろうと思った。働けなくなったらどうしよう、とか怖かったけど摂食障害になる前の私なら、本来ならなんでもできるんだからと言い聞かせて踏ん張った。
結局、自分にむちをうって会社を選んだ。
今思うのは、もう、戦わなくていいんじゃないか、ということ。
誰のためでもなく、私のために、働いて、幸せになっていいんじゃないかな。
会社の名前とか、肩書きとか、本当はどうでもよくて、私に大事なのは、心が喜ぶ生き方をすることなのでは。。
学生時代の苦しすぎる経験は、大人になってから、ふりかえらないようにしてきた。
振り返ってもいみないから。
でも、改めておもいだすと涙が止まらないし、苦しくて仕方がない。
今も、毎日過食嘔吐しながら、なにもなかったかのように会社で、頑張ることを続けてるけど、そんなんもうやめにしていいんじゃないかな。
少し楽をしても、あとでちゃんと幸せになれるよね
そう思わないともうどうしようもない。