拒食症→過食症になって
女性 学生 27歳 A型 山梨県
「こんなに痩せれる自分はすごい」
最初はただただ落ちていく体重がうれしくて、痩せていく自分がうれしくて
どんどん食べる量を減らし、どんどん動く量を増やしていった。
ただそれだけだった。
ダイエットのきっかけは久しぶりにあったお姉ちゃんの友達に「ルイちゃん太った?」と言われたことからだった。
そのため、私は意を決してジムへ行った。
もともと身体を動かすことは好きだったのでハードな筋トレ、ランニングで追いこんでいった。
そしてエスカレートし、ジムへ行った日の夕飯を食べずにいたら面白いように体重が減った。
そのうち、「食べなくて動けば痩せる」そう考えるようになった私は、気付いたらたくあん一切れさえ怖くて食べられなくなっていった。これを食べたら太る。
いつしか、生きるための食べ物は「太る食べ物」「太らない食べ物」と区別されるようになった。
ラーメン。アイス。お酒。ケーキ。ご飯。パン。揚げもの。肉類。卵。ジュース。
すべてが私の禁断の食べ物だった。全部太るからと除外していった。
そして156センチ40キロで下げ止まりになり、最終的に下剤ですべてをだすようになった。
でもまだ自分は太ってると思っていた。拒食症だとわかったのはずいぶん後のこと。
そんな2年前の12月24日に悲劇が起った。
友達とクリスマスパーティをしたのだが、お酒、ケーキ、お肉、お菓子、パイ・・・
今まで私が禁断の食べ物として排除していたものが目の前にきらびやかに並んでいた。
しかもみんな手作り。1品持ち込みで、みんなで作ったため食べないわけにはいかない。
「今日だけならいいか」これがすべての始まりだった。過食へのスイッチが入った瞬間でした。
美味しい!こんなに食べられる。うれしい。幸せ。楽しい。
この上ないくらいの幸福感が私を襲っていった。
これが噂のストレスホルモンと戦ってきた結果なのかと今なら思えます。
今までずっと我慢してきた私の身体は一気にすべてを開放し、瓶の蓋は壊れその後も過食は止まらなかった。
お腹がパンパンで苦しいのに止まらない。
これから運動をするのに、その前にこんなに食べたら動けない、でも止まらない。
友達がくれたバレンタインのお菓子もお土産も美味しさなんて感じない。どんどん詰めた。
でも、嘔吐をしなかったから過食をすると体重増加をしっかり把握する。そして自己嫌悪となる。
「今日だけなら、これからはもうしない」何度思ったことだろう。でも辞められなかった。
さらに重なる仕事のストレス、職場での人間関係の悪化。すべての人たちが私をダメな人間だと思っていて
私自身も必要のない人間なんだと本当に思った。そんな自分を助けてくれたのは過食しかなかった。
家族にも八つ当たりした。イライラして、イライラして。
他人は私のことを見下し、ダメだと感じどうでもいいと思っている。。。
大好きな母にも、大好きな父にも、大好きな祖父母、姉にも、彼氏にも私は当たり散らした。
そしたら、大好きな祖父が亡くなった。今年の冬のことだ。大好きな祖母は認知症を患い、施設に入った。
大好きな祖父は、孫の私がなぜこのような剣幕で当たるのかずいぶん悩んでいたと、遺品整理で出てきた日記からわかった。
ごめんね。おじいちゃん。こんな孫でごめんね。今更謝ってもおじいちゃんはいない。
もっと笑ってあげればよかった。もっと優しく接してあげればよかった。
車で送り迎えしてくれた高校生の時。勉強を教えてくれた中学生の時。
いつも私を心配してくれたおじいちゃんだったのに。どうして最期にあんなひどい接し方をしてしまったんだろう。
本当にごめんなさい。今でも、おじいちゃんのお仏壇の前にまっすぐに座れないでいます。
申し訳なくて、おじいちゃんの写真が見れません。
もう、いない。こんな私を許してほしい。
だから、今、思うことはこの病気としっかり向き合うことそしてこの病気は本当に怖いということ
だからこそ自分がしっかり行動していくこと。
もう、こんな想いはしたくない。だから、治します。