過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

12年間の治療体験

女性 主婦 29歳 宮城県

12年、過食嘔吐してきたけど、12年で、いろーんな治療をしてきたんだ。
治したくて、治らなくて今があるのだけど。

—高校生(17歳)の頃—
吐いてる私の行動がおかしいって、母親が心配して精神科に連れていかれました。
病院の先生に「どうして吐くの?」って聞かれても、なんで吐くのか自分でも分からないし吐くことが恥ずかしい行為だと知っていたから私は何度病院に行っても、黙ってるだけでした。

—大学生(19~22歳)の頃—
実家を出て、一人暮らしを始めました。やっぱり吐くことが止められず。
両親が心配して、近くの医大に自助グループがあることを調べてくれた。
私の過食嘔吐も、そこで治るんじゃないかって。
何回か通って、摂食障害が治った人の本人の話も、家族の話も、たくさん沢山聞きました。
でも、心には響かなかった。
「私とは違う」そんな思いもあったし、まだ理解できなかった。

—社会人になって—
妹の主治医の繋がりで、文教大学の先生と面談しつつ、必要なら催眠療法で病気を治していこうってことになった。

面談では、ストレスに負けない体を作ること。
今、過食嘔吐してる時間、代わりに何をするか考えること。
食べ物以外で依存するものを探すこと。
自分というのが分からないのに、八方美人にならないこと。
家族との関わりを見直すこと。
そんなことを中心に面談していきました。
毎回、同じような話ばっかりで、だんだん、行くのが億劫になっていった。
家を出る直前に酒飲んで勢い付けなきゃ、会いに行くのも面倒臭い時もあった。

嘔吐は、私の友達「ゲロちゃん」。
ゲロちゃんは、愛に飢えて寂しい私をいつも励ましてくれて、辛い気持を全部忘れさせてくれてたんだって。
モチベーションを自分でコントロールできたら、ゲロちゃんは必要ないよね…
ってとこまで話がまとまってから、催眠療法に入っていった。

目を閉じて、だんだん子供の頃に戻っていくの。
大学時代~高校時代~中学時代~小学校~幼稚園~幼少時…
その時代で何があったか、どんな思いをしたか。気持ちが戻っていくの。
催眠によって、心の鎧が小さくなるんだって。
催眠は、理性を弱めるための方法で、「答え」は自分の中にある。
それを信じさせてくれるもの、それを信じる力をくれるものが催眠。
潜在意識は、望むことなら素直に催眠を受け入れてくれます。
自分の意識の中で、本当に過食を治したいと思っていれば、潜在意識が受けとってくれて、症状も良くなるはず…だったんだけど。

ゲロちゃんの代わりが見つからないから、治すのが怖い。
自分に甘い。

結婚する直前まで、大学の先生のとこ通ったけど、結局、病状に変化なかった。

—結婚して—
今度は、大学病院の精神科の先生に通院することになりました。
過食嘔吐より、お酒が悪いと指摘され、睡眠薬を処方されました。
断酒剤は、私が飲むのを止めない限り、症状を悪化させるだけだから、処方できないって言われて。

睡眠薬は、お酒との相性が悪い。
3年間も睡眠薬を処方されて、たまーに飲むけど、いまだに酒と併用した際、いつ倒れるか分からない。
食べてる最中だったり、トイレの最中だったり、廊下で倒れたり。
朝、目が覚めると、家中が荒れてて、ビックリする時が何度もあった。

過食嘔吐だけじゃない。
アル中だ。
気が付いたら、合併症になってた。

家族の協力も必要と言われ、旦那が一度だけ、精神科に一緒に来てくれた。
「大人になれ」って、旦那が言われてた。
でも、旦那にも旦那の言い分があってフィルターを通してしか見ていないくせに、とやかく言われるなんて心外だと言われ… 結局、夫婦喧嘩になりました。

—現在—
病気を治すために、いろんなことしてきた。大変だった。
ここに相談してからは、不思議と気持ちが安定してる…
みんながいるから、安心できるのかな。

ごめんなさい、長くなってしまいました。
読んで下さった皆様、ありがとうございます。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。