過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

ご家族の方へ

やめたくても、やめられない。
それが過食症です。

ご家族が心配している一方で、
摂食障害の患者さん本人も罪悪感で苦しんでいます。

(以下相談者の体験談です。)
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女性 会社員 25歳 京都府

私の過食嘔吐が始まったのは約7年前です。私の8年間の事をこれから書きます。。。

私は中学3年生の時に好きだった男の子が自分より細いということが気になり、ダイエットを始めました。
だんだん、体重が減ってきてうれしくなり、ダイエットはどんどん過激なものになりました。
頭の中は毎日食べ物のカロリーばっかりで、周りの人の体系ばっかり目で追い、どんなに痩せても自分が1番太いと思い込んでいました。

気づいたら拒食症で入院していました。それから1年間、病院での辛い日々。
登校する友達が病室の窓から見え、1人取り残されるような孤独感が毎日こみ上げてきました。

でも、そんな病院生活でも唯一の喜びは、夕方の食事の時間に母が、夜の消灯の時間に父が来てくれることでした。雨の日も雪の日も毎日毎日来てくれました。

おかげで、私もちょっとずつ体重も増え、「食べる」という事に捕らわれる事がなくなり無事に退院しました。
高校にも無事に入学して楽しく毎日過ごしていました。

が、高校2年生のとき、急に体重が増えていくのが怖くなりました。
最初は、「食べなければまた入院になるし。体重なんて気にするな。」と自分に言い聞かせて普通に食べていたのですが、ある日友達に「最近ちょっと肥えてきたね!」って言われた時に私はとうとう自分に負けました。

夜食べたごはんを産まれて初めて自分で吐きました。涙はいっぱい出るしすごく苦しかったです。
何回かで止めるつもりでした。
でも食べたいものを食べても太らないし、逆に痩せていく!!と喜び、今までキライだと言って我慢してきた物を食べるようになりました。

最初はコンビニで菓子パンを1個買うぐらいだったのですが、だんだん揚げ物、大袋のお菓子と増えていきました。
吐くこともラクになり、1日1回が2回、3回となりました。

当然、お金もなくなっていき、最初は親の財布からお金を盗み、妹や弟のお金まで手を出しました。
家の貯金箱も全部使い、いろんな物を売ってまでお金にしました。それでも足りず、万引きを繰り返すようになりました。。。全部吐くための食べ物のために。

ある日いつも通り万引きしていましたが、初めて捕まりました。
父と母が迎えにきてくれて、父は私の顔を初めて殴りました。母は泣いていました。
その時やっと自分のやった事の重大さが分かりました。2人とも私の過食嘔吐には気づいました。
そして「みんなで治そう」と言ってくれました。その日から私はがんばりました。

でも、気持ちとは裏腹になかなか続けて過食嘔吐が止まりませんでした。
母はそんな私にだんだんキツい言葉になってきました。「いい加減にしなさい!」って。
私も分かっているけど、止められない。しまいには私が吐くなら母まで指を突っ込んで吐くと泣きながら言い出しました。。。

今から思うと私の体をかなり心配してくれてたのだと思います。
少し後で知ったのですが、この時母は過食嘔吐回復という本を何冊も読んだりして毎晩泣いてくれていたそうです。

そんな中、父も会社でリストラされました。
私が入院してる時が1番大変な時だったみたいで、毎日病院に笑いながら来てくれていたけど、本当はすごく辛くてしんどかったのです。

そして、中学3年の妹の髪の毛までが抜け始めました。
最初は本当に小さい部分だけだったのに1年位で全部抜けました。
1番楽しい高校生になったのにカツラ生活。原因はストレスでした。
妹の髪の毛が抜け始めたのは私が過食嘔吐が始まったぐらいからでした。

私が入院中も家のコトは中学になったばかりの妹が全部負担してくれてました。そして何よりも家のトイレは妹の部屋の前にあり、私が吐いている声が妹に聞こえていたのだと思います。。。

7つ下の弟はあまり家族には心を開かなくなり、家では前みたいな明るさがなくなりました。
私が過食嘔吐しているのを知ると「気持ち悪い!」と私を軽蔑するようになりもぅ直せない溝ができました。。。

私は、家族の生活やみんなの幸せを自分のせいで全部失わせてしまいました。。。