過食嘔吐30年、娘は児童相談所へ
女性 自営業 45歳 A型 青森県
私が過食嘔吐を繰り返すようになって、30年が過ぎました。
最初は、中学三年生の頃で、それよりもずっと前、生まれる前から家庭が崩壊していました。
父はギャンブルと女性関係をずっと続けては、たまに帰ってきてケンカばかりでした。
父がいない間、母親はずっと機嫌がわるかったり、辛そうだったり、私に父がどんな酷い人間かをずっと話していました。
母親は、毎日私とたくさん食べては、後からビニール袋に吐いていました。
そのうち、母親と夜中にたくさん食べてストレスを解消した気分になり、でも太ることも恐怖になって嘔吐するようになりました。
食べてから、大量の水を飲んで簡単に吐けるようになり、吐いた後はスッキリした気分になっていました。
高校受験の前日、私は父が転がり込んでいた女性の自宅に、1人で行きました。
「これからどうするの?」
という質問に、父は
「もう帰らないと思う。」
と答えました。その時、私はホッとしました。
もうこれ以上、発狂したような母親を見たくなかったから。
次の日の受験を頑張ろうと思いました。
無事、高校に合格し、入学して間も無く、学校から帰宅すると父が帰ってきていました。
あんなに離婚すると言っていた母親が、また父を受け入れることに嫌悪感を感じ、本当に家に居たくなくて、その頃リストカットをして病院に運ばれて傷を6針縫いました。
もう人生を終わらせたいと思っていました。
でも、父は何ごともなかったように家族旅行を計画しました。
幼い頃から、修羅場のようなケンカの後は必ずドライブや旅行に連れて行かれました。
ずっとずっと、楽しそうなフリをしてきました。
母親の為です。
そのリストカットの後は、この家を出たいと、受験勉強を頑張ろうと思っていましたが、毎晩過食嘔吐を続けて、家にある余ったごはん、パン、お菓子、なんでも食べて吐くを繰り返して毎日疲れていました。
受験の直前は、東京で予備校の直前講習を受けていたのですが、ほんの1、2か月は過食嘔吐が止まり、実家を離れてストレスが減って治ったのだと思いました。
けれども、大学に合格して1、2か月過ぎた頃から、大量に食べることが楽しくなり、また嘔吐する日々が始まりました。
彼が出来ても、余りにたくさん食べるので、おかしいと思われていたと思います。
そのような日々を過ごし、就職する時期になり、大手企業に就職が決まって、新たな気持ちで生活しようとしましたが、毎晩の過食嘔吐は全く治らず、それどころか、外でお昼を食べても吐くようになり、だるく、疲れやすく、そのうち会社に行くのがおっくうになり、とうとう辞表を出して退職しました。
その頃は、貯金を切り崩しながら一日中過食嘔吐を繰り返して、途中喘息発作で入院しました。
その後は、アルバイトを転々とし、知り合った人と結婚し、相手がうちの家業を継ぐと希望した為に、実家に帰ることになりました。
でも、私が高校生の頃と全く現状は変わらず、そのうち妊娠したのですが、つわりが酷く、人のかすかな体臭にも吐き気がし、吐いていました。
旦那は、私が嫌っていると思い、暴力をふるうようになり、身体中アザだらけになり、切迫流産で入院することになりました。
入院中、自宅に戻ることが恐怖になり、大きなお腹の中の子供を守りたいと思って、離婚を決意したのです。
その頃は、つわりが治り、過食嘔吐もしばらく出産まではなかったです。
どちらかというと、拒食に近く、赤ちゃんの為に無理やりほんの少し食べている状態でした。
出産してすぐに、東京に日帰りで調停を行い、2回で離婚が成立しました。
それから、実家を出てアパートで子育てと仕事をして生活してきました。
その間も、子供が寝てから、過食嘔吐を毎晩繰り返していました。
娘が高校受験の時、今迄余り感じなかった感情が湧いてきたのを覚えています。
私も、娘のように応援されたり、心配されながら受験の日を迎えたかったと、いろいろな感情が浮かびました。
その後も、過食嘔吐は続き、高校に入学した途端、娘の成績が音を立てて崩れるように落ちていき、2年生に上がる頃は最下位になりました。
べつに非行に走ったわけでも、すごく反抗したわけでもなく、ただ、勉強が出来なくなっているようでした。
私は、娘が良くない方向へと向かって落ちて行ってると思い込み、暴力をふるうようになりました。
常に先が不安で、酷いことをたくさん言って叩きました。
その頃、過食嘔吐は一日中になっていました。
そして、本人の希望で、学校から児童相談所の一時保護所に保護されました。
私に殺されるかもしれないと思ったそうです。
児童相談所から、娘が精神病院で診察を受けるので、娘に会わずに私も病院で面談を受けることになりました。
娘の診察が終わり、私が診察室に入ると精神科のお医者さんは、
「長く摂食障害で苦しかったね。娘さんが、治療して欲しいって望んでいますよ。」
とおっしゃいました。
保護されてから一度も娘に会っていませんが、娘は自分が生まれてからずっと、私が過食嘔吐を繰り返して毎日を過ごしてきたことに、心を痛め、私が暴言や叩いたり酷いことをしても、病気なのだと思っているということに初めて気づきました。
娘は、兄夫婦の住む東京へ、今日旅立ちます。
私が過食嘔吐を克服できるまで、私は彼女の母親ではありません。
どんなことがあっても、過食嘔吐を治したいと思って、こちらの相談センターの方のご指導を受けながら、頑張ろうと思っています。