本当は怖い。過食症と過食嘔吐ブログ

過食症の体験談がまとめられたブログです。

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タグ : 入院

病院に通うたびに傷ついたわたし

女性 会社員 29歳 A型 福岡県

私は19歳で過食嘔吐発症。

24歳の時初めて心療内科を受診し、二度の入院を経験しました。

2回とも拒食時の入院でしたが、過食嘔吐の事は言っていました。

最初に受診したときにあたしの状態はまだ片足を突っ込んでいる状態だから
まだ引き返せると先生に言われました。

摂食障害をどうしても治したい気持ちから入院を決めました。

しかし、行動制限療法に耐えられなかったことと
自傷行為をしていることに対して大勢の医者に囲まれた中で、
あなたより若い子で頑張っている子が沢山いるのに
その歳になって恥ずかしくないのか、甘えていると言われました。

主治医は助けてくれませんでした。

傷をえぐられた気持ちでした。

2度目の入院の時は摂食障害の治療ではなく
点滴等の治療を受けるためのものでしたが、
その病院の先生には

入院するのは勝手だけと摂食障害は診れない。結局は自分次第だから
と言われ続けました。

そして親に知られたくないことも平気で親に言われていました。

病院に通う度に傷つくような気がしてました。

いつしかカウンセリングでも本音で話すことをやめ、取り繕うようになり病院に通うのをやめました。

もう自力で治そうと思いました。

拒食後に口に食べ物を入れたことをきっかけに過食嘔吐に転向し、それから4年間毎日過食嘔吐。

食べること、吐くこと、痩せることに執着する日々。

もう後には引き返せず、自分ではどうにも出来ない状態になっていきました。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

やめてしまった病院通い

女性 学生 18歳 O型 福島県

摂食障害と診断されたのは14歳の時、体重が20キロ代まで減り
母親に近くの総合病院の小児科に連れて行かれたのが始まりです。

このままでは危険なので、即入院ですと言われた時は
とうとう来たかとその場を逃げたい反面、あぁ病気だったんだな…と安心したのを覚えています。

だから入院するときのわたしは抵抗するわけでもなくとても冷静でした。

入院したら食べられるだろうと言うのが最初の気持ちでしたが、いざ目の前に食べ物がくると食べられませんでした。

こうしている間も点滴が太らせてると考えると
ベッドの上で無駄な動きを沢山し、1日に何度も病室と体重計とを往復していました。

今考えると有り得ません…。

結局、1週間ほどで退院しましたが、それからは心療内科に通院しながら
カウンセリング等の治療をしていくようになりました。

初めは箱庭という治療法をし、それからカウンセリング、診察の順でした。

症状が過食に移行してもそれらの治療は変わらず、過食が酷いんですと言っても回復期だからと流されてしまい、回復期から過食嘔吐に移行しても、どうしてくれるわけでもありませんでした。

薬も処方されましたが、体質に合わず飲むのを辞め、しまいには病院へ行くことさえも辞めてしまいました。

それから1年後、頼る場所が無くなったわたしは
また同じ病院に通院することになりました。
しかし症状は変わらず、ネットで見付けてここに連絡をしようと思いました。

無料相談では、病院では過食を止める方法がないこと、薬では治らないこと、過食を回避するために予定を沢山詰め込んでも良くならないことを聞き、あぁ、わたしの意志が弱いからじゃないんだなと、少し安心しました。

過食はすぐには良くなりませんが、気持ちの面では少しゆとりができたようで嬉しいです。

今回の無料相談をして今後の生活が少しずつ変わっていくことを願います。
この病気の恐ろしさをこれからも体験していくなんて絶対に嫌です。

治したい。

この気持ちを忘れないでがんばります。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

1日15000円の入院費用、それでもやめられなかった過食。

女性 主婦 35歳 AB型 石川県

子育てと家事とダイエットと過食嘔吐や厳しい食事制限を無理しすぎて
精神的にも体力的にも限界になった私は
通院していた病院に自分から入院を希望しました。

もちろん、強制ではなく、自主的になので
旦那さんや実家の母親からは反対されましたが、

このままでは本当に死んじゃうのではないのか?
全て一人で毎日頑張っても
結果も何も出ない現状に恐ろしさを感じたので説得してでの入院でした。

その病院はホテルのような立派な設備で
個室に入院しても患者というよりはお客様扱い。

1日15000円の個室代金。
高い料金がかかっているけど、少しでも良くなるのならと惜しまず選びました。

入院中は毎日、プログラムがあって軽い運動や摂食障害の勉強、栄養学など希望して受講できる仕組みでした。

やることもない私は積極的に受けれるプログラムは受けていました。

そこで初めて摂食障害を患っていて見るのも目を背けたい患者さんとも出会いました。

でも少しずつその患者さんを見ていると、
私はまだあそこまで大変な状況ではないからもっと痩せても大丈夫。
むしろ太っているのかも?と錯覚に陥ります。

そう思えてきてしまうと大変です。

3食きちんと食べる事が治療と
栄養学で学んだ知識なんか脳裏の奥に消えてしまいます。

病院で出されるホテルのような素敵な盛り付けで美味しい料理も
食べる事が悪に思えてくるのです。

何の為に入院しに来ているのか、本来の目的も忘れていくのです。

そこの病院ではラウンジで食事をしていましたが、患者さんとお料理を出してくれるおばさんだけで看護師さんも居なくて、食事を強制していませんでした。
食べない事は簡単でした。少しずつ食べなくなりました。

その頃です。東日本大震災が起こりました。

とても恐怖でした。あの体験は今でも怖かったです。

外出届けを書いてコンビニへ行っても何もない。
多分、その頃だと思います。過食に戻ったのは。

もう食べたくて仕方がないので、違う病気の子にお菓子を貰うようになりました。

それでは足りなく色んな子にお菓子を貰いに行くのです。

外泊や外出する子にもお金を渡して内緒で買ってきては過食。

最初は過食だけだったのにやはり太ることの恐怖が襲ってくるのです。

個室のトイレで吐いてもバレないだろうと初めて吐いたとき看護師さんがすぐに飛んで来ました。
かなり叱られました。

もうしないと誓ったものの、過食だけはやめられません。

認知行動療法やカウンセリング、その頃、過食に効くかもしれないと言われ増える薬もいっぱい飲みました。

病院では高いお金を払って色んな事をしたのに、裏では過食。

もう、こんな病気なんて治らない、病院では治せない病気なんだと痛感しました。

体を休める事は出来たけれど、同じ病気を患っている患者さんとのマイナスな刺激を受け、すぐ退院を決めた私はそこから拒食に変わっていきました。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

再発とリバウンド

女性 無職 35歳 A型 福岡県

こんにちは。
私は高校入学(中学浪人したので一年遅い)してから少しして、過食が始まりました。16歳でした。
小学生の頃いじめに遭い、自分では克服したと思い込んでいたのですが、高校のクラスにもなじめず、苦しい思いをしました。
あれ?5月病?あれ、登校拒否?部活(コーラス)では受け入れられていたので、止めたくはなかったのですが、どうしても教室に向かうことができませんでした。
母が作ってくれた弁当が精神的に負担になり、よくコンビニのゴミ箱に捨てていました。代わりにポテチで胃袋を満たす・・・それが過食のはじまりだったと記憶しています。
「このままじゃ太ってしまう…」嘔吐も何度か試みましたが、高熱が出たとき以外はできませんでした。
留年して、頑張ったものの勉強についてゆけず、退学。通信制高校に3年通い、卒業しました。22歳でした。
仕事と人間関係のストレスから、過食が再発しました。
テレクラに電話をし、憂さ晴らしのため、一晩限りの性交渉を何度か持ちました。憂さが晴れるのはいっときです。 
 
26歳、S県に職をかえ、親元を離れて自由になれた気がしましたが、護るものがいない、レイプ未遂に遭い、過食に拍車がかかりました。
4ヶ月で20kg、一気に増えました。
1年で実家に戻り、介護の資格を取ろう、とヘルパー講座を受けました。
実習で疲労困憊し、「わたしは何をやってもだめなんだ」と資格はとることはできたもののひきこもり、2年少しはほぼ家から出られません。
母がパート・アルバイト募集の新聞広告をこれみよがしに机に置きます。それこそが、身をちぎられるほど辛かったです。「私が働いているから料理位しなさい!」とコントロールのきつい母、ずっと家にいてときどき飲酒・泥酔し、風呂嫌いで時々悪臭を放つ父。 努力家で小学校教員になった妹(ミニ母)はあからさまに見下し、きつい言葉でなじります。家にも居場所はありませんでした。
自炊をしながら、多く作ったものを過食の材料にしました。

30歳手前、再就職の準備をして、ビジネス講座や研修を受けているときに、23歳のときの職場の上司に二人きりになったときに包丁をすっと向けられたショックがよみがえり、パニックが出始めました。
精神科とカウンセリングを受けはじめます。父が「アルコール依存症」とわかったのはそのころです。
コントロールするのをやめたら、また10kg体重が増えました。当時流行っていた「長州小力」に似てるなと、鏡を見ながらうっすら思いました。

2010年、糖尿病予備群の診断を受け、2011年春、「教育入院」をしました。
カロリーをコントロールされた食事を摂り、2週目からは「ウォーキング」をとりいれ、順調に7kg痩せました。
やっぱり物足りなくなり、リバウンドしました。
やっとここにつながったのが現在です。
まとまらないですが、回り道・寄り道ばかりの人生であったと思います。
死にたいと思ったことも何回でもありましたが、とりあえず、生きてます。
ありがとうございました。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

入院までしたのに・・・

女性 会社員 20歳 B型 愛知県

わたしは摂食障害になって、実家にいると食べ物がありすぎるので食べてしまうんだと思い、2年前に家を出て、祖母の家で暮らし始めました。

しかし病気は治らずとうとう入院しました。
入院していた期間は1ヶ月間を2回。

入院している間はとまっていたのですが、退院後再発してしまい、働いていた会社にも迷惑をかけてしまい、本当は働きたいのにもう限界で会社もやめ、実家にもどってきました。

友達との遊びも断り、大好きな洋服もお腹を隠す服を選ぶようになり、大切なものを沢山失いました。

今ここの場所に出会い、治したい気持ちが強くなりました。

今ならまだやり直せる。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

下剤と過食嘔吐で入院

女性 学生 23歳 A型 広島県
私が摂食障害になったのは9年前でした。
中学2年の頃、家族がバラバラで、非行に走り、頼った友達に利用され、私は自分に自信がなくなり、疲れて引きこもっていました。
痩せてきれいになったら自信が持てる、みんな優しくしてくれるかもしれない、という思いからこの病気は始まりました。
「下剤と食べたものを吐いたら痩せる」と聞いたのを思い出して、1日の食事をお菓子を少しと寝る前に下剤を飲み、自分が決めているものより食べ過ぎたら吐くようになりました。
最初はおもしろいように落ちていく体重と、好きなものを食べても痩せていく快感でその行為に何の疑問も持ちませんでした。
周りにも痩せたことで女の子として扱われている気がして、自分でも痩せてよかった自信で溢れてると思っていました。
高校に入り周りは勉強やバイトに励んでいるのに、私の頭の中は食べ物や痩せる事でいっぱいになり当時流行っていた死人が出たダイエット薬にも手をだし、精神的にも肉体的にも病んでいき、学校にも友達にもついていけなくなり入院、学校に行けなくなり留年してやめました。
高校を辞め入院して下剤と嘔吐をやめれたもう自由になれたと思っていたけど、この病気はそんな事では治りませんでした。
18歳になり、一人暮らしをするようになり、フリーターとして生活し始めて彼氏もでき、時々嘔吐をしていたものの、体重も標準になっていたことから、もう治った、と思っていたとき、たまたま行った美容院で働くことになりました。
しかし、
「美容師だったら痩せないと」
と言われたのをきっかけに、仕事より痩せる事を優先させるようになり、頑張ろうと思って入った仕事も2週間でやめ、そんな自分を許せなくてうつ病になり、引きこもり下剤が再発。
下剤嘔吐を治すために入院したけど、再発を繰り返しました。
下剤を飲みながらバイトをする日々を送っていたけど、そんな状態で仕事が続くはずもなく、いろいろなバイトを始めては、体力がなくなり、精神的に病み、やめることの繰り返し。
そんな生活に疲れて、実家に帰り、下剤をやめる事ができたけど、嘔吐は治まらず、仕事の人間関係に悩み辞めて引きこもり、過食嘔吐を繰り返す日々が始まりました。
実家に帰り、通信制高校に入学して頑張ると誓ったのに、また同じことを繰り返す自分が嫌で精神的に追い詰められていました。
家族には告知できているけど、普通に何も考えずにご飯を食べれる家族がうらやましく当たってしまい、そんな自分に自己嫌悪してしまいます。
ダイエットを始めて9年間、私の頭の中は痩せる事、食事だけしかない気がしてならないです。
もうそんなことに振り回されたくないです。
このまま治らなければ将来やめれていた下剤も元にもどって同じ事を繰り返す人生だと思うと本当に苦しいです。

入院しても過食嘔吐は止められない

入院、投薬等で摂食障害・過食症が治ることは稀です。

心の病気だということを認識し、根本から回復させない限り、病気は付きまとって来ることでしょう。

(以下相談者の方の体験談です)
*——* *——* *——* *——* *——* *——*
女性 自営業 31歳 AB型 福島県

私は15歳ころから過食嘔吐を覚えました。
スタイルキープのため、またストレス解消のため。

結婚をきっかけに止まりました。
しかし、出産後の家事、育児、仕事のストレスから再発してしまいました。

そして、ついには精神病になり、入院を繰り返しました。
今も投薬中。
入院しても過食嘔吐は治らなかった。

今では、睡眠薬の影響で、夜中に無意識に過食嘔吐していたりと…ショックをうけていましたが、相談をうけてから、自分を責めないようになってきました。

もう二度と繰り返したくないです。
この相談期間で完治させようと思います。

無駄なお金や時間を使いたくないです。

なぜカウンセリングを受けるの?

女性 主婦 30歳 AB型 愛知県

私が初めて摂食障害になったのは中学2年の時。
人付き合いが苦手な私は学校に友達が一人もいないし、何かと嫌味を言ってくる大嫌いな男子と同じクラスになって毎日通学するのが苦痛だった。
でも登校拒否なんて母親が絶対許さなかったから嫌々でも通わざる得ない。

小学校高学年ぐらいからぽっちゃり体型でそれがとても嫌だった。
夏のプールの授業で水着を来た時、嫌いな男子にまた何か言われる、痩せれば何も言われなくて済む。
それが無理なダイエットを始めたきっかけだった。

食べ物の量を極端に減らし、みるみる痩せていった。
痩せていくうちに母親や姉、同級生から羨ましがられた。
それまでそんなことは一度もなかったから嬉しかった。
もっと痩せよう、そう思って食事の量をさらに減らしてほとんど幽霊部員だった運動部活に積極的に参加した。

順調に体重が減っていったある日、学校から帰宅すると玄関で父親とたまたま会った。
その時父親は私の顔色の悪さに驚いたらしく、私が普通の状態じゃないことにいち早く気付いた。

それからちゃんと食べるように言いつけられ、仕方なくその通りにしたが当然体重は増えていく。
せっかく痩せたのにまた太ってしまう、そう思って食べた物を吐き出した。

吐いてことが親にバレて地元の精神病院でカウンセリング治療をすることになった。
訳がわからなかった。
自分はどこも悪くないのに何故治療が必要なのか、そう思いながらカウンセリングを受けていた。

カウンセリングに通うようになって数ヵ月後、吐くのは治まったが過食は止まらず、体重はダイエットを始めた時に戻ってしまった。
そうなったのはカウンセリングのせいだと思い、カウンセリングを受けるのが嫌になった。
中学卒業を期にカウンセリングを中断した。

例の男子とは別の学校に通うことになったし、過食も治まっていた。
だからもうカウンセリングはいいだろうと自分で判断した。

でも高校に入って些細な人間関係が原因でまた過食が再発。
しかも今度は過食嘔吐だった。

それでまたカウンセリングを受けることになった。
カウンセリングを受けている間は症状が治まったので、また高校卒業と同時にカウンセリングを止めた。

高校卒業間近になって母親が躁鬱病になった。
原因は実家で営んでいた写真屋の経営が中学ぐらいから傾いたこと。
躁状態になった母親の奇行がストレスになり、普通食嘔吐も重なって胃を壊した。
母親が入院した途端、嘔吐は治まった。
でも母親が躁になる度に同じことの繰り返し。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

意志の問題ではないことを学んだ入院生活

女性 無職 20歳 愛知県

今回は1回目の入院についてお話しようと思います。

2007年5月愛知県の藤田保健衛生大学という大学病院に一週間入院しました。
担当は木下先生。
この入院が始めての入院でした。

摂食障害をほぼ克服(自称)した人に出会い、その人の言った「私は入院を3回して治った」という言葉に惹かれ、入院したいという気持ちが湧き、入院しました。
入院予定期間は約一ヶ月。

この大学病院ではそもそも精神科でルールを決められるということは無いようです。

このときは体重は標準。
食生活の改善を目標として入院しました。

私は始めての入院だったので7日間完璧にこなしました。
3食完食の嘔吐なし、一日一万歩(万歩計を渡されていました)歩行。

ただ、7日間でギブアップでした。
無理やりにでも退院したくなりました。
木下先生に泣きついて退院をお願いしました。
「毎日食べてもはかなかったから」
「毎日一万歩歩いたから」と泣いて外泊を頼み、そのまま退院させてもらいました。

「あと一週間頑張れれば保険が降りたのに」お母さんが言った寂しい言葉も思い出しました。

木下先生が言って下さったのは、「あなたなら自分の気持ちで治せますよ」という言葉でした。

でも結果むなしく経年増加で初期からすでに13倍です。

過食は自分の意思の強弱ではないです。
私はそれを深く感じてきた人生です。

今はここで知った治し方をひとつひとつ実行していきたいです。

まとまりはないですが、長い文章を読んでくれて本当にありがとう。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。

治したことのない医師の下での苦しい入院生活

女性 無職 20歳 愛知県

入院の経験を話します。
この体験はここを全く知らなかったころの自分の話です。
今回は3回目の入院についてお話しようと思います。

2008年愛知県の藤田保健衛生大学という大学病院に一ヶ月間入院しました。
担当は江崎先生。とても優秀な先生だと思います。
入院後一度診察を受けたとき、打ち解けて話すことができ、とても良い先生だと感じました。

入院時、当時体重は39キロでした。
親の仕事が忙しい季節、実家での生活はストレスが大きいため、入院で居場所を作るというのが目的でした。

入院に特に決まったルールは無く、物品所持も個人の管理、トイレも自由にいける環境でした。
大学病院内には、金融機関のATMもありました。
また、コンビニ、24時間営業の食品自動販売機、食堂、マクドナルドがありました。

院内外出は1時間以内なら自由。
院外外出も申請を出せば自由という環境でした。

食事は栄養バランスの取れたものなはず。
病棟での環境も、看護婦さんもたくさんいて、入院患者さんも軽度の人ばかりで交流もできる可能性もありました。

しかし毎日6~7千円の過食嘔吐を病院内で続けていました。
毎日コンビニで買い物をして大きなバックに袋詰めして、それをさげて、病院内の人の来る確立が少ないトイレを探し、過食嘔吐していました。

そんな生活が1ヶ月も続いたんです。
今はそんな生活には絶対戻りたいと思いません。

大学病院の先生は(主治医ではありません主治医の病院には入院施設がありません)、「まずは出された食事をすべて食べてください」
「食べてようやく自分の感情に気付けるのです」
「その体重では精神の安定はしません。食べてから脳が正常化するのです。」
といいました。

私が
「じゃあ体重が戻れば私は良くなるんですか?」
「苦しくなくなるのですか?」
「先生はこの病気を診て治っていった人を診たことはありますか?」と聞いても、先生は「その保証はないです」
「過食嘔吐克服者の人になら会ったことはありますが・・・」

私は先生をとにかく信じられなかったです。
その先生は主治医ではなかったし、私は体重増加という苦しい思いだけして、結局先生が私を診なくなるのが怖かったです。

入院はとても辛いものです。

食べることは悪いことではないのに、いつ食べたって、食べる量だって、個人の自由なはず。
入院は時間も量も食べるものもすべて決まっています。(買出しは一応できますが…)

最後に先生の診察を受けたのは、ここに出会ってから、一度、行きました。
ここと出会う直前に入院予約をして、一ヶ月待ちの入院の順番が来たときの診察でした。(ここで治る素質が見い出せた為、入院を断りました。)

そのときに先生から言ってもらった、私にとって先生の信じられる言葉があります。
(「あなたはいろんな治療に挑戦してきたみたいですが」)

*「自分が決めた治し方を信じることです。」*
*「その治療だけに専念し、治るまで続けることです」*

ここに出会って、初めて治ると信じられました。
ここに出会った後に聞けた言葉だったから、本当にそのとおりだとおもえました。

入院していない今、過食費が一日1万3千円まで経年増加した今、過食費が7千円以内の日が確実に増えました。

無料相談で軽減や停止を経験した方。
ここで治るんだって気づいた方。
ここに出会って、私もやっと完治に向かって頑張れる一人となりました。
一緒に頑張りましょう!
長くなってごめんなさい!

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。