過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

タグ : 下剤常用

下半身の脂肪吸引、海外への渡航、それでも過食は止まらない

女性 会社員 35歳 A型 海外

私の過食衝動の始まりは14歳中学二年生の時でした。信頼していた友人たちからある日突然イジメをうけたことが恐らくきっかけだと思います。登校拒否が始まり、その頃から食べる事が始まりました。

暫く経って登校を始めましたが、そこに待っていたのは同級生達からの太った私に対する心無い言葉たちでした。太ったな、デブ、別人、などです。

そこからは太っている私がいけない、太っている人間に価値はない、とにかく嫌われないように、日に日に自分を抑えて生活するようになりました。そして、そのストレスを埋める為に過食を繰り返しました。

高校へ進学してからも一向に良くなる気配はなく、むしろひどくなっていくばかりでした、
下剤の服用は毎日になり市販の下剤は麻痺して効かなくなり、病院の下剤なども処方してもらい飲み続けるようになりました、体重も今までで最高で70キロを超えました。

私の場合は大体8キロから10キロを行ったりきたりします、
食べては太り 服が着られなくなったり鏡に映る自分の体型が醜すぎて、しばらく絶食と毎日3~4時間の運動(水泳、縄跳び、走る)をして、無理やり落とします。

同じ摂食障害でも拒食症のように、痩せていけばみんなから心配もされるだろうし、太っているよりはマシ、過食でも、嘔吐できれば少なくとも太らずには済むのに、どうして私は吐けない過食なんだろうと、辛く、悲しく、虚しく、ただただ情けない、そんな感情が毎日毎日続きました。

24歳になった私は痩せ続けなければいけない場所にいればいいんだと無謀にもエステの会社に入社しました。同僚や先輩はみんな細い、また太っていては、お客様に説得力がない これで痩せられると思いました。
しかし、現実は厳しく始めの数ヶ月はダイエットに励んだもののストレスは日に日に大きくなり、でも太るわけにはいかない私は、とうとう休みの日に美容整形外科にきていました。下半身の脂肪吸引をする為です、

痩せなければ続けられないエステの仕事、でも過食は止められない 手術するしか方法がないと思いました。
半日の入院で帰宅できる、2~3日は筋肉痛のような痛みがでるが普通に生活はできると言われ、決意しました。
ローンを組んで140万くらいでした。

心の病や摂食障害はあるものの、体はいたって健康な自分でした初めての手術、初めての麻酔、しかも健康な体に自分で決意してメスをいれる。でもそこまでしてでも過食で太った自分が許せません。
手術台に乗った時涙が止まりませんでした、でもこれしか方法がありませんでした。

結果ほぼ寝たきりが2週間は続き、脂肪を取った下半身の腫れや激痛は1ヶ月続きました。会社は退職せざるをえませんでした。そこから1年は自宅でひきこもりました。

再就職した、脱毛やフェイシャルのエステの仕事の管理職を任されることになり
ストレスのはけ口がないこと、管理職になったプレッシャーと自尊心の低さ 2年経った30歳の頃、頭が再度パンクしました。躁鬱病になってしまい、退社。結婚を考えていた彼氏とも別れ 私には何もなくなりました。

鬱だけではなく躁の状態も続いた為、もうこのままでは自分で自分を殺してしまうと思い始めました。また家族も私の介護に付きっ切りの為 疲労がきているのは目で見ていてもわかりました。家族にもそろそろ愛想を尽かされ、こんな娘はいらないと夜中に刺しにくるんじゃないか、殺されるんじゃないかと思うようになりました。

それからODをまた2度ほどし、入退院を繰り返した頃、死にたいけど死ねない、でも居場所がないと思った私は躁状態のままチケットを購入し海外に逃げました。

結局場所や環境を変えてもそこに慣れてしまうとストレスや根本の自分を認められない、という部分は変えられないので過食が止まることはありませんでした。半年前勇気を出してストレスを減らそうと彼と別れを決意、しかしそこからの半年(現在)は埋められない部分をやはり過食で満たしています。

もう自分ではどうすることもできない、でもそれでも生きてかなくちゃならない、過食が止まれば痩せられればそれだけでも心のストレスは減らせる、少しなら自分に自信がつくかもしれない、そんな時ここのセンターを見つけました。20年と長い月日、もう生きている人生の半分以上を過食の苦しさで支配されてきました、また年齢が重なってきたことにより体にどんどん無理がきかなくなってきました。まだ体の動くうち、やり直しがきくうちに治したいです。やれるところまで試したいと思っています。