過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

タグ : チューイング

怖い過食症人生

女性 自由業 33歳 B型 栃木県

18歳後半、食べることが止められない、母は再婚した父を嫌う(でも心の中ではとても必要としていた)私のために、父と別れることを真剣に考え、父に相談していた。
ずっと部屋に閉じこもりきりの生活。
薬屋になんどか通い、思い切り眠くなる頭痛薬を買ってきて、一気に20錠飲み、うつらうつらとしてくるが1時間くらいして気持ち悪くなり部屋から這い出してきた。
「助けてー、見捨てないで。」と、朦朧とした中で言った記憶。
血のつながらない父が抱きかかえてくれた。胃袋が爆発しそう、気持ち悪い気持ち悪い。
傍で母が「この子をもうどうしてよいか分からない、手に負えない」
「馬鹿!なに言ってるんだ。自分で産んだ娘だろう、今まで一生懸命にやってきた娘だろう」
という会話が少し聞こえたことは覚えている。
父の腕の中でたくさん吐いた。母はかかりつけの医者に電話していたような。
この頃、夜中2時に家を出て、近くのスーパーのゴミ捨て場、残り物のお惣菜が捨ててあるのを毎晩拾ってくるのが日課。
チューイングをするが物足りない、ならちょっとだけ吐いてみようか、食べ吐きが始まる。

19歳のころ、浪人生活、予備校はほとんど行かず、毎日家で食べて吐く生活。
一度吐きすぎて貧血で意識がなくなりかけるがそのまま続ける。
20歳のころ、このままではいけないのかな、とふと思うようになり、何気なく専門学校の広告を見つけ、通うことにする。
21歳のころ、埼玉の専門学校に通うため、一人暮らし。毎日学校にまじめに通うが、夜は過食嘔吐、時間的に1回しかできなかったが、習慣になっている。
土曜日だけ「解禁の日」をつくった。好きなものを自分が安心して食べられるものから少しずつ食べ、おなかいっぱい食べても吐かない日。
酒を大量にのみ、そのまま眠る。夜中に起きたときは気持ち悪く、顔は倍くらいにむくんでいる。日曜の夜までうつらうつら眠り夜は過食嘔吐、土曜の夜に食べたものがまだ胃にのこっていて、気持ち悪いものまで吐き出していた。
そのうち、解禁の日も、普通の過食嘔吐になり、土日はずっと過食嘔吐をする日となる。
ある夏休みのある日、母と電話で口論になり、大量にアルコールをのみ久々の「解禁の日」を実行。急性アルコール中毒になりかける。
電話のやりとりを心配していた母が3時間かけて向かっており、アパートで倒れ掛かっていた私を発見し、事なきを得る。

そのまま学校を卒業、実家のほうにもどり、就職するが、やはり過食嘔吐を両親に気兼ねなく思う存分するために実家をでて、一人暮らしをする。

この頃、過食嘔吐、毎晩1~2回、休みの日はずっと。
途中、仕事を辞めたり資格を取ったりするあいだ、休みの日の過食嘔吐は減ったり増えたり。
ただ、今まで一日も休むことなく、毎晩の日課となる。

ここまで書いて、そのときの気持ちってあまりない。
ただ、25歳のときカウンセリングを受けたりして、私の中のインナーチャイルドが叫んでいる、ってことは分かった。

ガメラの卵みたいな中に入っているインナーチャイルドが出てこれなくて中でうずくまっている。ぶるぶる震えていて、怖いよ怖いよっていっている。

催眠療法、ワークなどもやったけど、途中で体が動かなくなり中断。

過食嘔吐が癖になっているところもあってタバコのように止められればと思うが難しい。

ダンナは11歳も上のひと、父親をかぶせているのかな。ダンナと付き合うとき、なんでも話を聞いてくれて「甘えられる人だ」って心が満たされた感じがあったこと、覚えている。
でも、結局男の人は甘えんぼ、私は甘えられず、過食嘔吐は続いている。