本当は怖い。過食症と過食嘔吐

過食症の体験談がまとめられたブログです。

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タグ : アルコール

私の見た過食症患者

女性 会社員 25歳 A型 神奈川県

昨日、初めて知ったのですが今私の職場に過食症の患者さんがいます。
彼女は年齢は私とほとんど変わらなくて見た目じゃやはり全然過食症なんてわからない。
彼女は過食症とアルコール中毒を併発しているそうです。
多量のアルコールが原因で太ももの骨が壊死してしまい
歩けなくなり、今回壊死をした骨を切る手術をしました。
若いけど骨がもろくてスカスカだから長期間のベットの寝たきりの安静期間が必要となります。
もちろんトイレも差込の便器でベットの上。
食事も寝ながらだし、着替えだって一人じゃできない。
だけど精神科から処方されている薬を1日30粒以上飲んでいて
呂律は回らないし失禁してしまうこともある。
手はひどい吐きだこがあった。。

私と彼女。
ただ、今は立場が逆なだけで本質は一緒なのだと思うと本当に
過食症は怖いと思いました。
自分だってこうなる可能性があるんだと思うとやっぱりちゃんと
治療していかないとならないということを実感しました。

増える過食が引き起こす合併症

女性 主婦 30歳 A型 北海道
過食嘔吐がはじまったばかりの頃は、普通に食事をとってごちそうさました後、自分の部屋で買い置きしていたパンやお菓子を隠れて食べて全部吐き出すというカンジでした。
徐々にそれじゃぁ足りなくて、一人になれる時はコンビニやスーパーでお弁当やお惣菜まで買って過食嘔吐するようになりました。
「眠れないから」という理由でアルコールを飲みはじめました。
「飲むのが好きだから」と言って水商売でバイトをはじめました。
それは都合のいい言い訳で、過食嘔吐の為の食材のお金が欲しかったのと、アルコールを飲んで酔って過食嘔吐がしたかったのと、過食嘔吐自体にあまり向き合いたくなかったんだと思います。
過食して吐いてるのがバレても飲んでるから「酔っ払っちゃった」って言えば済むと思いました。
それが癖になってしまい、結婚しても何も変わりませんでした。
隠れ飲みはするし、キッチンドリンカーで夫の夕飯仕度が済む頃にはほろ酔い状態で過食モードにスイッチが入っていました。
過食、アルコール。
同時に日に日に量は増えていきました。
嘔吐の回数も増えました。
いつも顔と体はむくんでて、吐く回数が多いので唾液腺もパンパンに腫れてしまいました。
血液検査で肝臓機能にひっかかり、精密検査になりました。
『めずらしい軽い脂肪肝』との結果でしたが、病院の先生に「こういうのは食べないで空飲みする人がなるんだよ。ダメだよ。空飲みは~」と言われました。
あんなに食べても結局吐いてこんな風になっちゃった、と自分の過食嘔吐が怖くなりました。
「治らないまま、色んなところに障害が出て死んじゃうのかな?」と悲しくなりました。
自分で過食嘔吐は自殺行為って思ってるのに止まらなくって、矛盾してるけど吐きながらトイレで泣く事も度々あります。
まだ全然どうしていいのかわからないけど、治せるって希望が持てたので、ちゃんと病気と向き合って完治させたいと思います。

過食症になって

42384 過食症になって 2007/03/14 11:52
女性 主婦 30歳 A型 北海道

私の過食嘔吐がはじまったのは、20歳の時でした。
原因はダイエットなのか?家族なのか?恋愛だったのか?
痩せたい=チューイングで簡単に痩せられると安易に思ったのが
地獄への入口でした。46kgだった体重はまたたく間に36kg。
もう、食べる行為が恐怖になってました。拒食症状態です。

その頃の彼氏と別れた途端、過食が襲ってきました。食べていい
はずなのに、満腹感はないし、食べたい食べたいの欲求。
せっかく痩せたのにこんなに食べたら激太りしちゃう。吐くことなんて簡単だから吐けばいい。
太りたくないのに毎日、頭の中は食べ物のことでいっぱいです。
人と接することも嫌になり、会社に行くことも困難になり休みがちになりました。

両親には「アンタがワガママだから」「頭がおかしい」「手におえない」
と言われ、会社を辞め、母に精神病院に連れて行かれました。
母と何度かカウセリングに行きましたが、家に帰れば、父が母に
「こいつがこうなったのはお前のせいだ!」と責め、その鬱憤で母が私に
「なんでもかんでも私のせいにしないでよ!自分が悪いんじゃないか!!」
と言い、カウセリングに行くのも悪循環でした。
両親と接する事が、嫌になりました。両親にはなるべく治ったふりで
接しようと思い仕事も始めました。家にはいたくないけれど、
お金がないと過食嘔吐ができない。
昼間の仕事だけでも大変なのに、私は水商売に足を踏み入れました。
アルコールのせいで過食は悪化。もう体はボロボロです。
経済感覚もおかしくなってます。
自分は何で生きているんだろう?こんなに責められてるのに、
過食嘔吐は止まらないし、出口はどこ??
この家から出たら治るんじゃないか??
結婚したら治るんじゃないか??と、また安易な考えです。

25歳で両親には
「治った、彼は過食嘔吐してた事を知っている」と嘘を言い、
結婚しました。結婚しても何も変わりません。
やっぱり隠れて過食嘔吐を繰り返すのです。
実家にいた頃より、最悪です。過食嘔吐に自己嫌悪をするものの、
過食嘔吐がすっきりするようになりました。
キッチンドリンカーにも足を踏み入れてしまいました。
毎晩大量のアルコール、過食嘔吐。顔と足はパンパンにむくみ、体はダルい。
両親を、主人を裏切っている自分を情けなく思いながら、止まらない。
こんな感じであっという間に10年も過食嘔吐に費やしてしまいました。
楽しむはずの20歳代は最悪な形で過ぎ去っていきました。

これからの私の人生を楽しいものにする為に、
そして主人や両親を裏切らないためにも、絶対完治しなくてはならないのです。
ここに出会ってちょっと勇気がわいてきました。
過食嘔吐も減ってますが、禁酒もできています。
少しずつ頑張ろうと思います。

長々と書き込んですみません。
読んでくれたみんな大好き。ありがとう。

告知経験、治療体験、合併症、決意表明

41654 告知経験、治療体験、合併症、決意表明
2007/02/20 04:50 女性 自営業 35歳 AB型 東京都

上京後25歳であまりの激務に心身共に限界を感じて勤めていた会社を辞めた。
治療に専念しようと決意してクリニックに通い始めた。10年前。
摂食障害の治療を主とする麻布十番の家族機能研究所。
主治医は斉藤先生。
カウンセリングを受けて両親に告知するよう指示を受けた。
過去に辛かった事を告げて謝罪もしてもらいなさい、と。
治療費と生活費の貯蓄もなかったので告知した。援助して欲しいとお願いした。
このセンターの告知資料みたいな物がなかったので摂食障害の
本を1冊と手紙を送った。

全国から大勢の摂食障害の患者さんが来てた。
集まって1人ひとりが前に出て気持ちや経験を話す会に一度だけ母と参加したが、
母はパニックになり責められてる気分になったんだろう。
逆切れされて泣かれた。
告知は失敗だったと思う。理解してもらえなかった。
父の性的虐待についても手紙に書いたのだが、それで夫婦喧嘩になったらしい。
母もかなりショックだったみたい。母から100万円入った封筒を渡された。
父からで「これで病気を治せ。その代わり手紙の内容を2度と口にするな」と伝言された。
謝罪の言葉はもらえなかった。

仕事を辞めたら直接仕事が入って来るようになった。
フリーランスで活動を開始した。

クリニックに通院を続けるが、なかなか馴染めない。
以前から通ってる患者さん同士はとても仲が良く楽しそう。
私に話しかけて来てくれる人も沢山いたけど気を使ってしまう。
この感じ何かに似てる…。そうだ。転校したての頃に似てる、と思った。
気付いてクリニックに行くのが憂鬱になった。
薬は使わず治したいと思っていたが、過食嘔吐は一向に減らない(むしろ増える)ので、
薬を試してみようと再度先生のカウンセリングに予約を入れた。
少し待たされるのは承知していたが、3時間も待った。
みんな先生にすがる気持ちが強いんだろう。
やっと次って時に私の前の人が1時間近くも出て来ない。
泣き声が延々と聞こえる。
仕事の打ち合わせを2本もキャンセルしてしまう。『もう通院をやめよう』と思った。
仕事が波に乗ってきて過食費と過食の時間を確保出来るようになったし。

先生に嘘をついた。
「謝罪の言葉はもらいましたか?」「はい」
「症状はどうですか?」
「ほぼ止りました。でも一応薬はもらっておきたいです」
「よかったですね。あなたは苦労したけど根の部分では両親にとても愛されてたんでしょう」
「そうですね。そう思います。」…ここでも私は強がるんだなぁと思った。

薬を試すが過食は止ってもボ~ッとなる。仕事も家事もできない。
たくさん過食して嘔吐すると一気にハイになるからサバけるのに…。
で、薬も断念した。その変わり通販のドラッグショップで食欲抑制剤を手に入れた。
「メリディア」だったっけ。本当にお腹が空かない素敵な薬。
1日4回ぐらいの過食嘔吐をその薬のおかげで2回に減らせて
「これでいいや」って思った。
暫くして違法販売の為そのサイトがなくなってしまった。
過食嘔吐がまた増えた。

過食嘔吐もアルコールもどんどん増えて体が悲鳴をあげだした。
嘔吐後の痙攣、動悸と大量の汗、何度も倒れた。
髪はパサパサで円形脱毛にもなった。
その頃飼ってたペットの毛が原因で喘息発作を発症し倒れ、2回の入院(2週間づつ)。
入院中も嘔吐してしまうので代謝が上がらないからか、パンパンにむくんだ。
利尿剤を処方してもらう。むくみが落ちて体重も落ちるので病みつきになった。
通院して毎回気管支炎の薬と利尿剤をもらう。
でもその飲み合わせが最悪らしく(2年前ぐらいに殺人未遂でニュースでやってた)
心臓に負担をかけるので、何度も心筋梗塞みたいな症状で倒れた。
医者に突っ込みを入れたくなるがそれより、よく生きてられたな~と感心する。
利尿剤を続けたが効かなくなってくる。むしろ以前よりむくむので止めた。

精神を病んでると病んでる人を呼び寄せるんだろう。
5年前パニック障害で自傷行為だらけの依存体質の男と付き
合ってDVで警察を巻き込み別れた。
自分の事、仕事の事、もうクタクタに疲れて地元に戻った。
親と向き合おうと。たくさん喧嘩したけど話し合ったり良い時間もたくさん持てた。
告知から10年近い時間も経ち、両親は時間をかけてゆっくり、いろいろ反省したんでしょう。
何でもない穏やかな時にフッと「すまんかったな」「ごめんね」等と謝罪してくる。今でも。
摂食障害のみならず、鬱やら何やら心の問題関連の本を読みあさった。
過食嘔吐の量と回数は激減していった。

元気になって「もう一回東京で頑張ろう」と思って上京した。
今に至る。
でも1日1回の過食嘔吐が治らない。
指を使わなくても音も出さずに何処でも余裕で吐けるもんだから非常にやっかいで。
これぐらいはアリでしょ?ぐらい思ってたけど、電話相談で改めて恐さを教えてもらったし、
同棲に向けて前向きになりたい。子供も産みたい。明るく生きたい。
根絶を決意して参加しました。

怖い過食症人生

女性 自由業 33歳 B型 栃木県

18歳後半、食べることが止められない、母は再婚した父を嫌う(でも心の中ではとても必要としていた)私のために、父と別れることを真剣に考え、父に相談していた。
ずっと部屋に閉じこもりきりの生活。
薬屋になんどか通い、思い切り眠くなる頭痛薬を買ってきて、一気に20錠飲み、うつらうつらとしてくるが1時間くらいして気持ち悪くなり部屋から這い出してきた。
「助けてー、見捨てないで。」と、朦朧とした中で言った記憶。
血のつながらない父が抱きかかえてくれた。胃袋が爆発しそう、気持ち悪い気持ち悪い。
傍で母が「この子をもうどうしてよいか分からない、手に負えない」
「馬鹿!なに言ってるんだ。自分で産んだ娘だろう、今まで一生懸命にやってきた娘だろう」
という会話が少し聞こえたことは覚えている。
父の腕の中でたくさん吐いた。母はかかりつけの医者に電話していたような。
この頃、夜中2時に家を出て、近くのスーパーのゴミ捨て場、残り物のお惣菜が捨ててあるのを毎晩拾ってくるのが日課。
チューイングをするが物足りない、ならちょっとだけ吐いてみようか、食べ吐きが始まる。

19歳のころ、浪人生活、予備校はほとんど行かず、毎日家で食べて吐く生活。
一度吐きすぎて貧血で意識がなくなりかけるがそのまま続ける。
20歳のころ、このままではいけないのかな、とふと思うようになり、何気なく専門学校の広告を見つけ、通うことにする。
21歳のころ、埼玉の専門学校に通うため、一人暮らし。毎日学校にまじめに通うが、夜は過食嘔吐、時間的に1回しかできなかったが、習慣になっている。
土曜日だけ「解禁の日」をつくった。好きなものを自分が安心して食べられるものから少しずつ食べ、おなかいっぱい食べても吐かない日。
酒を大量にのみ、そのまま眠る。夜中に起きたときは気持ち悪く、顔は倍くらいにむくんでいる。日曜の夜までうつらうつら眠り夜は過食嘔吐、土曜の夜に食べたものがまだ胃にのこっていて、気持ち悪いものまで吐き出していた。
そのうち、解禁の日も、普通の過食嘔吐になり、土日はずっと過食嘔吐をする日となる。
ある夏休みのある日、母と電話で口論になり、大量にアルコールをのみ久々の「解禁の日」を実行。急性アルコール中毒になりかける。
電話のやりとりを心配していた母が3時間かけて向かっており、アパートで倒れ掛かっていた私を発見し、事なきを得る。

そのまま学校を卒業、実家のほうにもどり、就職するが、やはり過食嘔吐を両親に気兼ねなく思う存分するために実家をでて、一人暮らしをする。

この頃、過食嘔吐、毎晩1~2回、休みの日はずっと。
途中、仕事を辞めたり資格を取ったりするあいだ、休みの日の過食嘔吐は減ったり増えたり。
ただ、今まで一日も休むことなく、毎晩の日課となる。

ここまで書いて、そのときの気持ちってあまりない。
ただ、25歳のときカウンセリングを受けたりして、私の中のインナーチャイルドが叫んでいる、ってことは分かった。

ガメラの卵みたいな中に入っているインナーチャイルドが出てこれなくて中でうずくまっている。ぶるぶる震えていて、怖いよ怖いよっていっている。

催眠療法、ワークなどもやったけど、途中で体が動かなくなり中断。

過食嘔吐が癖になっているところもあってタバコのように止められればと思うが難しい。

ダンナは11歳も上のひと、父親をかぶせているのかな。ダンナと付き合うとき、なんでも話を聞いてくれて「甘えられる人だ」って心が満たされた感じがあったこと、覚えている。
でも、結局男の人は甘えんぼ、私は甘えられず、過食嘔吐は続いている。

怖い過食症になって

女性 無職 29歳 AB型 東京都

覚醒剤から、やっと脱出したとその当時は喜んでいました。大阪へ引越し、初めて社会人として仕事を始めた環境の変化、本当はすごい恐ろしいほどのストレスと、心の病気を抱えて。

過食嘔吐とジムとアルコールへ依存しなければいけないほど私の心は蝕んでいたんです。可哀想に。。。

始めはあまりの激務にジムに行くことはできず、過食嘔吐とアルコールに逃げていました。当時は今ぐらいの体重があったと思います。
1年ほど経つ頃には少々出世?して、偉そうになってました、部下を使うことも覚えて、ジムに行ったり、週末は休めるようになりました。で、結局体重にこだわり始めるんですね。

今思えば、あの頃から(24歳ごろ)同じような過食嘔吐生活を28歳の仕事辞めるまで送ってきたと思います。週末の金曜は必ずエンドレスに続け、土曜まで。日曜になったら、6~7時間ジムに行って猛烈に運動をして、月曜に出勤。平日はジムに行って、夜は殆ど食べない。

東京に帰ってきてからの方がストレスは減りました。
友達や男の子と飲むのも遊ぶのも増えたからねええ。
楽しかったのは事実。
けど、結局恐ろしい経年増加ってやつで、症状は一向に同じなんですね。

仕事辞めてからも、おはようビールと名づけて朝から飲みっぱなしで、過食嘔吐を続けていました。自分の中では幸せでした。
けど、惰性で掃除等めんどくさいからアルコールと過食嘔吐に逃げている時期もずっとありました。

センターに出会って、まだまだまじめな生活を送ることが難しいですが、昔とはだいぶ変化したことを気づかされます。

早く普通の生活を送りたい。普通の食事ができるようになりたい。
長年、悪循環となってしまったものを早く退治しなきゃ!!!

お願い、止まって

女性 主婦 34歳 A型 神奈川県
結婚して過食嘔吐が少し落ち着いてきた。やっぱり完治はしない。
3年目そろそろ子供が欲しくなった。
すぐに妊娠できた。
4週目まではお酒も飲んでたけど、子供の為と過食嘔吐もお酒もすぐやめれた。
4ヶ月目位がつわりのピークで吐きづわりだった。
6ヶ月目、もうつわりが終ってるが、過食の気持ちがむらむらと湧いてきた。
看護婦さんに体重増加の指摘を受けたからだ。
あまり太るとお産がキツい。
体型が戻りにくい。
色々よぎる。
誘惑に負けた。
つわりが続いてる感じだと自分に言い訳した。
私はとてもラッキーで母子ともに順調だった。
恐怖の9ヶ月目から生むまで、体重が1週間に1キロペースで増えていく。
また先生に怒られる、吐かなきゃ。。。
ごめんねあかちゃん。。。毎回思ってた。
吐いても体重は増える。なんで??全て吐きいれてないならだ。
でもあかちゃんへの栄養は?ごめん。。。ごめん。。。
どうしたらいい?先生に言うべき?無理だ。。。ごめんね。。。
結局プラス12キロで出産。
育児は大変だった。休まる時はあんまり無い。
ストレスは溜まる。。。
向いに住んでる母も手伝ってくれるが、色々干渉してくる。うるさい!誰の子供なの?!
産後6ヶ月ごろから体重、体型が気になりだした。
食事の量を控えてダイエットした。やっぱり食べたい!!
育児ノイローゼぎみになり、アルコールを昼から飲みまくった。
泣きながら酔っては吐いての繰り返し。。。最低な母親だ。。。
結局体重は産前のプラス1キロから2キロの間。
でも体型はひどい。。。
今のママはスリムでキレイな人達ばかり!!
どうしよう、醜い私。。。
お昼はアルコールと過食嘔吐がしたくて一緒にランチできない。
付き合い悪いって思われたくない。。。
ランチの後速攻家に帰ってアルコールと過食嘔吐。
子供に当たる毎日。。。
怒鳴り散らして、手まであげる。。。 本当最低。。。
幼児虐待までいったらどうしよう。。。
実家に行きたがる子供。なんで?!ママの事嫌い?!
過食嘔吐は止まらない。。。
普通の暮らしがしたい。切実に願った。
今何とか止まってる。お願いこのまま続いて!!!

私の過食症歴

女性 自由業 36歳 B型 埼玉県
発端は5年前、育児と仕事の両立の疲れが発端でした。
主人の収入の激減とリストラで自分の両親の元へ急遽世話になることにしたものの、子供も幼稚園から保育園にかわらなければならなくなり、私の仕事も自分の実力以上を求められるハードな毎日を過ごし、朝も6時に起きて子供の朝食と公文を見てあげてから保育園に送り、自分の身支度と仕事の用意をして出勤。
残業をしながらも保育園の時間ぎりぎりまで仕事をしてお迎え。
時には一度迎えて食事を作り主人の帰りを待ちさらに仕事に戻るという日々でした。
そのあたりから食事と睡眠が思うように出来なくなっていました。
アルコールでかわす毎日の中、ファザーコンプレックスといわれるほどの最愛の父が急死。
それでも仕事と育児に追われ悲しむ暇もなく過ぎていく日々をやり過ごすのはアルコールと過食でした。

趣味がパン作りケーキ作りだったため気晴らしに深夜作ることも多く、それを一人で全部平らげる毎日。
それに加えてアルコールで自分を見失うこともしばしば。
そこへある日パニックと思われる症状がでて、入院。
強制保護の為わけもわからず3ヶ月の入院を虐げられ、退院して安定剤と睡眠薬を服用したものの、仕事は休まず、もちろん家事も育児も。
そんな疲れを取る為か、気晴らしなのか、過食はどんどん増すばかり。
お酒も量が増え、病院のお世話になるのもしばしば。
そして摂食障害の治療の為の入院。
しかし退院してもまた一年後にはリターン。
仕事もクビになり、自分の母親と同居を始めましたが、家族は上手くいかず。
そして離婚。
その間も自分の気持ちを過食で打ち消すかのごとく、自分ではどうしようもない力で過食がおきていました。

しかし、これではいけないと昨年の秋に自己判断で精神科通院も薬も止め、ひどく2ヶ月間は苦しみましたが8ヶ月たった今は通院も薬も何にも頼らずにいられるようになりました。
しかし、何かあるとすぐ過食。
しまいには、「よーし、今日は思いっきりやってやる」などと変に開放して過食をとめることなく恐ろしい尋常な食べ方をしては嘔吐。
それでも痩せた体をキープしながら食べたいものを我慢しないで思いっきり食べても大丈夫だという認識になり、過食も嘔吐の苦しさも死にたいほどの悲しさになるリスクがあっても、そして食べ出したら止まらない、泣きながら食べている自分をも許していました。
いや、あきらめていたと思います。
こうやって苦しむのだろうと。
入院しても通院しても薬を飲んでも治らなかった最後の一つの病は過食。
これは一生自分の弱さの病気というか、病気という名の甘えを。
それでも苦しくて、辛くて、もう過食とはお別れしたい、しようと何度も試みては失敗。
そんな日々の5年間。
とうとう終止符を打てるように頑張ります。
今度こそ。