過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

母親も依存症だった

女性 主婦 35歳 B型 兵庫県
その言葉の意味をなんとなくは知っていたつもりだったが、直接話を聞いたときに自分の思っている以上のことだっのだと分かり背筋が凍った。
ここにきて自分の探しの旅に出てから私のルーツは母なのだなと思うようになった。
母は過食嘔吐の病気ではないが、アルコールに依存してしまう傾向があった。
母は結婚したくない相手(父のことなんだけどね・・・)と無理やり結婚させられたことから人生が変わったのだと常に愚痴っていた。
両親は私が小さいときから冷え切った関係だったし姑との折り合いも非常に悪く、母はそんな家を飛び出したいといつも思っていた。
母は外に出て仕事をすることで自分の存在を見い出していた。
常に家にいなかったからか私の小さい時の記憶で母にハグをしてもらったとか、一緒に笑った、遊んだということは一度も(ちょっとオーバーかな)ない。
母はよく「あんたらがいなかったから私はもっと自由になれるのに」と言っていた。
その度に自分を否定されている気持ちになった。
また母は100%自分になつかない私のことを嫌っていた。
「あんたは私の辛い気持ちを分かろうとしない」
「あんたは冷血人間や」とよく言われた。
私は自分の感情を抑えるようになった。
私は母だけでなく家族みんなに幸せになってほしかった。
だから母だけの見方にはなれなかったのだ。そこのところを母はわかってくれなかった。
母は感情の起伏が激しく、叱り方はほとんど虐待に近かった。暴言も多かった。
でも、そんな姿を他の大人の前では絶対に見せなかった。起こって叩いたり蹴られたりするには常に私と2人きりのときだった。
だから私の苦しみを他の家族には分かってもらえなかった。(分かっていたとしても何もしない温かさの抜けた家族関係ではあったが。)
そんな母との関係を続けていた中学生の頃に過食嘔吐が始まった。
母はずっと気がつかなかった。私は、‘悪いのは私ではなく母や周りが自分をこんな風にしたのだ’と思いたがった。
そんな親子関係のひずみが原因で摂食障害の病気にかかったことは一理あると思っている。
でも今はそれだけじゃなく、私の生まれ持った性格も過食に走らせる要因があったと思うようになった。
私がそう思ったのは子供を出産したからだ。それまでの私は性格は全て生まれた環境によって作られると思っていた。
私は不幸な家庭に育ったから、だからこんな人格を持ってしまったのだと常にみんなのせいにしていた。
だけど、出産したときに感じた。
赤ちゃんって生まれたそのときから泣き方も違えば体の動きも違うんだな~と。
親が教えなくても何でも積極的にやりたがる子もいれば、ものすごく消極的な子もいる。そんな性格は生まれたときから持っているのだと。
それを感じてから母との関係が私の中では少し変化した。母との確執だけが原因ではないと思ったことで許せる部分も出てきたのだ。
だがそれと同時に、生まれ持った性格の一部は母のものであるとも感じた。
母も心の病気をかかえた人だったのかもしれないなと。
私の性格の一部をもっているだろう息子のことを思うと泣きたい気持ちになる。
しかし、今私が頑張って環境を整えることができたら、今頑張ったことで私の暗い性格を明るくさせることができたら、息子の将来も悪い方向に走っていく可能性は減るだろうと思う。
2世代連鎖って辛すぎます。そんな風にならないためにも今頑張らなきゃと思っています。