本当は怖い。過食症と過食嘔吐ブログ

過食症の体験談がまとめられたブログです。

*

カテゴリ : 過食症での人生歴

私の過食歴

女性 会社員 31歳 A型 東京都
もう少し詳しく書くように先生からご指導を受けました。

中学生まで…ヤセ気味。

高校生になり食に目覚める!(家系も大食い体質カモ)
高校二年・・・膝を痛めたの(手術1回目)を機に10㌔太る
大学時代・・・ダイエットとリバウンドの繰り返しで最終的に65㌔↑くらいまで増えた。
この頃は、あまり吐いたりすることはなかった(というか出来なかった)
大学三年・・・何度目かのダイエット失敗と人間不信からプチ引籠り(一週間くらい)自殺しようと遺書を用意し、市販の精神安定剤を買いためていた。
寸での所で母親に止められ、心の思いもぶちまける事が出来て復活。

大学四年・・・就職活動をしていたら少し体重が減ってきた。
精神的に安定し彼も出来たのを機にダイエットし、最終的には48㌔まで落ちる。
この頃から維持をしようと嘔吐が始まる。

25歳くらいまで・・・仕事を続けながら、過食嘔吐をくりかえす毎日。
時にはお店(職場)の食品を盗んで過食することもあった。
嘔吐が原因で実家にも辛くなり、家出状態。
そんなある日膝をまた痛めて近くの病院で再手術。
(2回目)
25歳のとき・・・・交際相手が変わり、彼の家で暮らす様になったこともあり病状が安定。

26歳のとき・・・・スロットにはまり、過食嘔吐は全くなくなる。

29歳のころ・・・・転勤先の上司と合わず、大学卒業から続けていた会社を辞める。
ネットゲームにはまる、この頃は過食嘔吐は過去の出来事と思っていた。
下剤も1週間に1度飲む程度。
  
1年半前・・・・ネットゲームで知り合った今の彼と付き合い始める。
田舎から上京し東京で同棲を始めるが喧嘩ばかり、時には暴力も受けた→適応障害、パニック障害気味。
喧嘩が始まると、自分を守ろうと包丁を持ったりするようになるが、過食嘔吐はまだ収まっていた・・・

1年前・・・・・東京で派遣社員として勤めを始める。
対人ストレス増加。
入社一ヶ月後に、不注意から膝の古傷を痛める。
仕事始めたばかりで、また手術となると困るので、辛かったが病院にも行かず痛みを堪え仕事を続けた。
しかし古傷再発のショック+職場のストレス+彼と性格の不一致など、私の我慢もついに限界に達し、過食嘔吐がまた始まる。

去年の6月・・心療内科で過食症の相談をする。
彼も1度付き添いをしてくれた。
5.6回通った。
ルボックス、デパス、リタリンなど処方されるが、最初こそ効いた気がしたものの、やはり治まらなかった。
自殺願望も強くなる。
最終的に先生に「あなたは元々ガマンの器が小さいから…根本的治療は薬では難しい…」のような事を言われた。

去年の8月・・病院も当てにならない。
と思ったら薬に頼るのもなくなり安定剤全く飲まなくなる。
お盆やすみ実家に一度帰る。
(気分転換)一人暮らしをはじめる為に貯金をしようと、仕事の休みの日もアルバイトを始める。
このとき最低体重は45.8㌔ 過食嘔吐は数日ガマンしてまた再発。。とか

      
去年の11月・・悪循環を続ける日々、また膝を痛めてアルバイトができなくなる。
今回は病院に行った。
絶望的になって、ありったけの薬を手当たり次第飲んだり自殺未遂ぽい事もした

     
今年1月・・・・一人暮らしをはじめる。
彼と別居することで安心できる時間を得る事はできた。
しかしその自由な時間があるからこそ、誰の目を気にせずに過食できてしまう環境となり、買い食い+嘔吐がひどくなる一方。

今年2月・・・・下剤の乱用+食中毒で救急車に運ばれる。

一昨日まで・・・毎日3000円くらい買い込みをして、大食い選手並みに過食→嘔吐。
十二指腸まで詰まるほど食べるため、全て吐けず太り始める。
現在50㌔くらいかなぁ。
このままでは破産すると思い、毎日死ぬ事ばかりを考える・・・センターに出会う

私の過食症歴

女性 自由業 36歳 B型 埼玉県
発端は5年前、育児と仕事の両立の疲れが発端でした。
主人の収入の激減とリストラで自分の両親の元へ急遽世話になることにしたものの、子供も幼稚園から保育園にかわらなければならなくなり、私の仕事も自分の実力以上を求められるハードな毎日を過ごし、朝も6時に起きて子供の朝食と公文を見てあげてから保育園に送り、自分の身支度と仕事の用意をして出勤。
残業をしながらも保育園の時間ぎりぎりまで仕事をしてお迎え。
時には一度迎えて食事を作り主人の帰りを待ちさらに仕事に戻るという日々でした。
そのあたりから食事と睡眠が思うように出来なくなっていました。
アルコールでかわす毎日の中、ファザーコンプレックスといわれるほどの最愛の父が急死。
それでも仕事と育児に追われ悲しむ暇もなく過ぎていく日々をやり過ごすのはアルコールと過食でした。

趣味がパン作りケーキ作りだったため気晴らしに深夜作ることも多く、それを一人で全部平らげる毎日。
それに加えてアルコールで自分を見失うこともしばしば。
そこへある日パニックと思われる症状がでて、入院。
強制保護の為わけもわからず3ヶ月の入院を虐げられ、退院して安定剤と睡眠薬を服用したものの、仕事は休まず、もちろん家事も育児も。
そんな疲れを取る為か、気晴らしなのか、過食はどんどん増すばかり。
お酒も量が増え、病院のお世話になるのもしばしば。
そして摂食障害の治療の為の入院。
しかし退院してもまた一年後にはリターン。
仕事もクビになり、自分の母親と同居を始めましたが、家族は上手くいかず。
そして離婚。
その間も自分の気持ちを過食で打ち消すかのごとく、自分ではどうしようもない力で過食がおきていました。

しかし、これではいけないと昨年の秋に自己判断で精神科通院も薬も止め、ひどく2ヶ月間は苦しみましたが8ヶ月たった今は通院も薬も何にも頼らずにいられるようになりました。
しかし、何かあるとすぐ過食。
しまいには、「よーし、今日は思いっきりやってやる」などと変に開放して過食をとめることなく恐ろしい尋常な食べ方をしては嘔吐。
それでも痩せた体をキープしながら食べたいものを我慢しないで思いっきり食べても大丈夫だという認識になり、過食も嘔吐の苦しさも死にたいほどの悲しさになるリスクがあっても、そして食べ出したら止まらない、泣きながら食べている自分をも許していました。
いや、あきらめていたと思います。
こうやって苦しむのだろうと。
入院しても通院しても薬を飲んでも治らなかった最後の一つの病は過食。
これは一生自分の弱さの病気というか、病気という名の甘えを。
それでも苦しくて、辛くて、もう過食とはお別れしたい、しようと何度も試みては失敗。
そんな日々の5年間。
とうとう終止符を打てるように頑張ります。
今度こそ。

私の過食暦

女性 会社員 28歳 A型 山口県
私の過食暦を書きます。
私が過食嘔吐したのは高校三年生でした。
私はその頃好きな人がいて、はっきり言って、勉強より部活よりダイエットが趣味とばかりに痩せて綺麗になりたかったんです。
痩せたらその人と両思いになれる、告白できる勇気が出るって思ってました。
りんごダイエット、蜂蜜ダイエット、トコロテンダイエット、水のみダイエット、鈴木式ダイエット、もういっぱいやりました。
でも結局リバウンドしては元通りで…。
そのときにはいっぱいダイエットの知識があって、過食症の事も知ってました。
でも私はそんなに意志の弱い人間じゃないと思って関係なく過食症の記事とか読んでました。
ダイエットをしてた時、外食しなくてはならなくて、日ごろよりカロリーの高いドリアを食べてしました。
太りたくなくてどうしようと悩んでたら過食症の記事に載っていた『吐く』という事を思い出しました。
その時は1回だけだからと思いトイレで戻しました。
手を使うわけでもなく簡単に吐くこと出来ました。
そして、そのとき『これで太らなくてすむ』と喜びました。
それから過食嘔吐はなく、次は社会人になってからです。
職場に食べたら戻すという先輩がいました。
その人は普通に食べたら戻すのが日常だといって明るく過ごしていましたね。
わたしは初めての職場でストレスでご飯がホントに食べれなくなって痩せてしまいました。
夜くらいしかまともにご飯が食べれなくなってました。
1年位して今度は反動からか、休みの日に過食が始まりました。
その時はパンを3個とかお弁当を2個とかを食べて戻すのが1日に1回位。
その後仕事をやめて新しい職場に変わりその頃は人間関係になじめず、過食は1週間に3~4回。
すべて過食嘔吐です。
仕事が変わるたびになじめない自分から逃げるように毎日毎食となり、休みの日には1日中と
いう次第になりました。
量も段々増えていき、一気にご飯4合に食パン1斤とかを食べて吐く。
しかも吐きやすい食べ物とかを経験で覚えて、吐くために炭酸の飲み物を一気に飲み一気に戻すというやり方になりました。
よだれと涙が混じってぼろぼろになりながら吐くために食べるのか、食べたいから吐くのわからなくなりながらトイレで途方にくれていく毎日。
でも体を鞭打って仕事にバイトに行きました。
ほんとに辛くてどうしようもない毎日でした。
でも今は先生からの『するべき事』を頑張ってやってます。
お母さんに、単身赴任の父に報告し、母親と過食症についてご飯を食べながら話してます。
これから改善して行くためにも電話相談、書き込み頑張ります。

出産と結婚を経て

女性 主婦 32歳 O型 大阪府
結婚5年目、3歳と5ヶ月の娘がいます。
子育てと家事で時間の余裕がなくなって、今はものを買ってきて心行くまで食べて吐くということができなくなりました。
でも「太ってはいけない」という気持ちは強く、出産後はいつのまにか普通食嘔吐になっています。
私の嘔吐歴は14年になります。
友達に「太っている」と言われダイエットに目覚めたものの、食べ盛りに食事制限は辛く、いつのまにか「吐けばいいんだ」→「吐けばいいんだから食べてもいいんだ」という発想になり過食嘔吐の日々が始まりました。食べ物を粗末にするのが嫌でずっとやめたいと思ってきたけれど、きっと環境が変るといつか治るだろうな、なんて楽観視して毎日をやりすごしていました。
そして、今の主人に出会いました。付き合っている時は、スタイルをよくみせたいので嘔吐はやめられませんでした。大食いと思われるのも嫌で、デート中はそれほど食べず、帰ってきてから我慢した分をまとめて食べて吐いていました。
そして結婚。実家を出て環境が変るのできっと過食嘔吐も止まるはず・・・ そんな期待がありましたが、結局自分が台所を任されるので食べ物は以前より自由に手に入るようになり、今までとなんら変ることなく過食嘔吐を繰り返しました。
変ったのは、主人という知られてはいけない身内が一人増えただけ・・・
そして妊娠。 すごく嬉しかった。
赤ちゃんができた喜びと、これで私も改心して過食をやめるだろうという思い。
・・・でも、結果は今までと全くなにも変らない過食嘔吐の生活でした。赤ちゃんがいるのに過食嘔吐するって、きっと医学的にも精神的にもよくないはず、自分一人の体じゃないんだから大事にしなきゃ・・・って、すごくすごく思っているのに、今日だけ、これ一回だけ、、、と、結局同じことを繰り返していました。 そのうち、つわりの時期になっても、吐くことに慣れていたし常に過食していたので、つわりで気持ち悪いのかどうかもよく分からないような状態でした。
でもそんな私も、吐きながら頭の中はいつも「流産したらどうしよう・・」「栄養が赤ちゃんに行かなかったら、障害を持って生まれてしまうのでは?」「吐く時(お腹を押さえるので)赤ちゃんを圧迫して、お腹の中で赤ちゃんが苦しんでいるのでは?」って、不安で不安でしかたありませんでした。 なんだか今思うと、行動と考えがすごく矛盾しているけれど。
そんな時、不安からネットで情報を集めようと検索していると、同じ症状で悩む人たちの掲示板があり(ここではありません)、「私も産めたから大丈夫だよ!」という先輩ママの書き込みが。
すごくほっとしたのを覚えています。だから余計に食べたい衝動がでて、結局出産前日まで治まることはありませんでした。(そうそう、上手な吐き方を覚えてしまって、下腹に力を入れると破水すると思ったので、うまく胃だけに力を入れるようになっていました)
もちろん、二人目の時もずっと過食嘔吐したまま出産、産後も入院の時以外やめれた時はありません。
どこかで、「一人目も大丈夫だったから平気だわ」と思っていたことも確かだし、食べている時の頭が真っ白になる感じが気持ちいいから、私の体にはきっとプラスなんだー とまで思ったりもしました。(楽観的にもほどがありますよね)
先生と出会って、切迫流産などの危険があるということを初めて知りました。
今思うと、私が産めたのは運がよかっただけかもしれない・・と。 かわいいこの子達の寝顔を見ると、もしも私の行動でこの子たちを殺すことになってしまっていたら・・と思い始めると、体が震えるほど怖くなります。
いや、もしかしたら、今は気付いていないだけで、妊娠中嘔吐していたっていうことがこの子達に既にもうなんらかの影響を与えているかもしれない。
早く先生に出会えていたらよかったのに・・とすごく思います。
でも、今は振り返っても手遅れだし、少しでも早く先生に出会えたことに感謝しています。 そして子供たちが(特に女の子)過食嘔吐に走る可能性が高いという先生の言葉に一番震撼し、早くそれを知ってよかったと。
それだけは・・・  それだけは絶対にしたくない。
そして、この掲示板で「寂しさ」について書かれてあることを読ませてもらっていますが、二人の子供をわけへだてなく、いっぱい愛して育てていかないと、将来この子達がとてつもない苦しみを味わうんだ・・・ということが身にしみて分かりました。
運良く子供を授かった私。
子供のために必ず良くなりたいと思っています。
そして、まだ出産されていない方、将来出産したいなぁと思っておられる方もここに来ておられるかもしれません。
私のように過食嘔吐していても産めることもあります。人間の体って、子供も大人も案外強い。 けれど、健全な体で安全に、安心して子供を産むことを望むのなら、必ず良くなってほしい。。と思うのです。 環境の変化で過食嘔吐が止まるっていうのはすごく楽観的で、実際は私のようにやむことはありません。
だから、自力でのがんばりが大事なんだなぁって。
子供のために、必ずよくなりたいです。

怖い過食症人生

女性 学生 20歳 O型 神奈川県
おはようございます。

わたしの過食は、今考えてみると中学生頃から始まっていたと思います。
わたしは中学受験をし、中高一貫の進学校に入学しました。
当時、バスケットボール部に所属しながらも あまり部活には出ず 家に帰って 誰もいないときには必ず何か食べていました。
そんな私はみるみる太っていき、中学校入学当初より8キロも体重が増えたのです。
これはマズイ!!と思った時に【下剤】に出会いました。
下剤は食べたものを全て流してくれると思っていました。
それから、わたしは食べては、下剤を飲むというのが習慣になっていました。

高校生になっても8キロ太ったときと大して変わらない自分が大嫌いで、わたしはダイエットを始めました。
1日2食をダイエットフフードに変えるというダイエットでした。
そのダイエットを始めてから、わたしは1日1食しか食べれない【普通の食事】のことで頭がいっぱいになっていました。
そして、だんだんその【普通の食事】は普通ではなくなっていきました。

結局そのダイエットは失敗し、逆に過食は酷くなって家族に隠れて夜中に色々なものを食べるようになりました。
パン、アイス、お菓子、夕飯の残りのシチューetc.. いくら食べても満たされることはなくて 食べつづけました。
 そして、食べたあと10錠~20錠くらい下剤を飲み、現実逃避するかのように寝ました。

わたしの体重は減ることはなく、また5キロ増えました。

過食をした翌日の気分は最悪でした。

死にたいと、ほんとう毎日考えていました。
朝リストカットをして、何もなかったような顔をして学校に行く。
けれど、わたしは毎日、今日帰り何処で死のう・・とか考えていました。
世界が灰色に見えていました。

そんな生活をつづけながら、わたしは高校2年生になりました。
わたしは、精神的にも辛すぎて どうしてわたしはこんなに辛い気持ちになるんだろうと考えていました。
精神科の本を読んだりして自分なりに勉強しました。
そのときに、わたしは【過食症】だと気づきました。
このときの気持ちは、ショックと言うより自分が辛かった原因が分かって安心したことを覚えています。

高校2年生が終るころ、わたしに彼が出来ました。
同じ学校の同じ学年の男の子です。
こんな醜いわたしを好きになってくれる人はいないと思っていたので、とても驚きました。
彼はとても優しい人で、たくさんの愛情をわたしにくれました。
すると、わたしの過食は少しづつなくなっていき、体重もみるみる落ちてきました。
周りからも痩せたねと言われて、とても嬉しかったです。

そして受験期を向かえました。
受験で体力を消耗したせいか、わたしの体重は中学入学当初と同じか、少し少ないくらいまで落ちました。
しかし受験の結果は、彼だけ大学生になり、わたしは予備校に通うことななったのです。

予備校に入って2ヶ月ほど、私は彼の近くに行きたくて勉強を頑張りました。
しかし、彼との別れが来ました。
それから、わたしの過食はまたはじまり、体重は7キロ増えました。

そして、また受験期。
わたしの体重は7キロ落ちて元に戻りました。

晴れて大学生になり、ひとり暮らしが始まりました。
それから、わたしの過食がまた始まりました。

今月の2日に、身体測定がありました。
去年の4月から6キロ増えてました。
体重を量ってくれる人が、「普段からこの体重ですか?」と聞いたほどです。

2日の夕方、わたしはまた過食をしてしまいました。
その後に、このセンターの存在を知りました。
センターにメールをし、相談をしてから もうすぐ2週間になります。
一昨日、以前より少ない量ですが過食をしてしまい、下剤を10錠飲んでしまいました。

しかし、過食する間隔が明らかに開いてきています。
以前は週に2、3回程度でしたが、今は2週間に1回の間隔になりつつあります。
このまま良くなっていきたいです。

長くてごめんなさい↓

怖い過食症人生

女性 会社員 27歳 B型 長野県

過食嘔吐になったのは今から5年ほど前だったかな。
学生から社会人になり、男勝りな仕草と、姐御肌な性格で
男らしさ持ち味(?)だった為、
特に化粧とか服装とかで、女らしい事もせずにきました。
社会人になり、さすがに何処へでもGパンで行く訳にも行かず、
化粧をするようになり、スカートやスーツも着なくちゃならない
場面にも出るようになり、逞しかった体型も社会人の
時間規則の中で、徐々に徐々に10㌔位痩せてきました。
それでも普通よりだいぶ逞しいですけど。(笑)
それでも、着れる服のバリエーションが増えたり、
女らしい格好をしても不似合いじゃなくなってきたのは
やっぱり嬉しかった。

今までは似合わないからと、諦めてただけで、
やっぱりあたしも女の子なんだな~って思い始めた頃・・・。
会社でやっぱり仲良くなりたいのにいじめか??って云う
先輩の態度にストレスを感じてたのかな~。
その先輩の態度に対して、
「負けてたまるか!」ってしおれる事もせず笑顔で
「休んでたまるか!」って会社も休まず
「どうしてかな~?私は仲良くしたいのに」と
恨む事も怒る事もしないでなんとか弱気にならない様に
元気な自分である事が何より大事だった。
今思うと、そんな事で凹む自分ではありたくなかったし、
そんな自分を母は喜ばないだろうって思ってた気がする。
いつもいつも前向きに、負けずに、力強く生きる私であって
欲しいと云う、多大な期待にいつも応えたかったんだな。
でも、現実は会社でもその職場に入る時から呼吸が浅くなり
何かの特別な気合が必要で、その気合によってなんとか
平常な、強気な私を演じられていた感じだった。(無意識)
そんな会社での時間が楽しい訳も無く、とにかくもう、
「帰宅したらお腹一杯味を付けたご飯を食べよう!」って
なんだかその言葉で自分の機嫌をとって定時まで居た気がする。
で、帰宅したら大盛り3人前位のチャーハンをたいらげて、
ふぅ・・・って落ち着くの。ちょっと幸せな気分になって。
その後、え、せっかく痩せてきた10㌔が戻っちゃたらどぉしよう
って、もうすでにお腹いっぱいの胃袋に、水を流し込んで
指を入れて無理やり吐き出したのがキッカケ。
後は、元々食べることが大好きだったし、
食べてもぶくぶく太らずに済むって思えば、
甘いものとか、油っぽいものとか気にせず食べれた。
人間関係で衝突して、真剣に切れ掛かってても
時の感情で人やモノに当たらない性格である事が
正しい生き方だと思い込んできた私は、笑顔ですまし
自分の車へ戻ると、泣く事も怒る事も全てを、
食べ物を食べているその幸せな快感で押し流した。
食べ物で、その荒れ狂った感情が薄れていくのが自覚できた。
吐きダコができ、そのもっと奥へ入れなきゃ吐けなくなり
もう一個吐きダコができ、口の脇がいつも引っ張られて切れた。
母親には、その手が汚い、吐きダコなんてみっともない。
トイレがが汚れる、掃除しろ。
定番ですが・・・もったいない、意志が弱い、吐くほど食べるな。
そんなん言われても、こんな手になっても、こんな口になっても
痛くても苦しくても辛くてもやめられないのがもっと辛いって、
母親に微妙にアピールしてた。
解る筈もなかったので、案の定悪化しましたが。(笑)
夕飯をお腹いっぱい食べた後、車に乗って見切り品ツアー。
吐くのもいつしか上手になって、胃を押せば出るし
吐きダコは消え、口も切れなくなった。
見た目にはアピールする傷は消えたけど、
簡単になっただけ、気軽にいつでもできる様になった。
要は悪化進行したって事なんだね。
私の過食嘔吐は、痩せる為ではなく、
胃が破裂する勢いで食べ過ぎたものでの体重増加阻止の為。
だから、通常の生活は支障が無い。
痩せたら尚結構って思ってるけど、
通常の生活や運動ができなくなるのは、困る。
私は病気の症状まで、母親に気を使ってるんだなー・・・。
母親が好きな娘を演じる為の、平常心を維持する行為なんだ。
お手伝いをよくして、
人に気遣いができて、
明るく元気で前向きで、
何があっても負けないで、
優しく思いやりがあって、
何を頼まれても嫌な顔もせずやりこなし、
・・・こんな娘で居るには、
吐いた30分後にヒ汗とめまいで倒れてる訳にはいかない。
また、吐いていることを知っていても、
目の前で食べてすぐトイレとか
何を思われるか、申し訳無くて行けれない。
私ね、母親に気を使わずに病気になってしまいたかった。
いっそ壊れてしまいたかった。
普通の一般社会人もできない位、潰れてしまいたかった。
なんで、病気の加減まで、人の顔色伺っているんだろうって。
それすら、できなかった。

私と下剤

女性 会社員 39歳 A型 大阪府
おはようございます。皆様。
昨日は、尻切れの書き込みで去ってごめんなさい。あれから思いっきり泣いた。
どうせ1人やし、だーれも居ないので声だして
「わーん、わーん」子供の時の泣き方やなーあれは・・・でもスッキリしたわ。うん。
今まで書いて無かったけど、勇気を出して・・聞いて下さい。
私の身長は155cm体重は29㎏から30㎏の間をうろうろしてる。
想像つきますよね?そうガリガリ「まさにガイコツ」です。
だから本当は、下剤なんか必要ない。身につけなあかん
「死」との背中合わせです。
一時は27㎏ぐらいまで落ちた。手、足は冷たく仮死状態です。
そして、出先で倒れた。大きな病院に運ばれ、血圧をはかりながら点滴を受ける。
あがらなければ・・・きっと死んでた。その後、大きな病院の心療内科など転々とした。
どこも受け入れてくれない。たらいまわし状態。ようやく大阪市大が受け入れてくれた。
暫くは通院したものの、嫌になっていかなくなる。たまに「親と一緒にこい」といわれ
父親と一緒に行ったこともある。そのときお医者さんが「このままやったら、あきらめてください」と言ったらしい。(後で聞いた、ぞっとする)
でも、そのときは、最悪の状態だったので1日中喰い吐きして、下剤も大量にのんでたし
「死んだらえーねん」そう思ったときもあったし・・・
この体型ではただのカゼも危険な状態。先日(ここに来る前です)もカゼひいただけで
肺に陰ができて呼吸困難をおこす。
そのとき、夜、突然、胸が苦しくなって息ができなくなった。
真剣、死ぬかと思った。
そして、ここをしり 「今の私。」
本当に、過食嘔吐、下剤乱用、激やせ。この病気は怖い。と改めて思う。
ここにきて私は、過食は止まったものの、下剤は、はなせない。
昨日の夜は、飲んでしまったけど、昨日の母との件もあり、さすがに今朝は飲めなかったそしてポーチに入れてる下剤を、朝から入れたり、出したり・・自分でも妙な行動やと思う 。

怖い過食症人生

女性 主婦 33歳 O型 兵庫県
過食を始めたのは今から約7年前。
当時は働いていたので過食をするのはもっぱら夕食の一度だけ。
それが徐々にエスカレートしていき暇さえあればひたすらか食べるようになり4年前に結婚して専業主婦になってからは1日中(家に一人でいる間)になってしましました。
一時は精神状態もめちゃくちゃになってしまい心身ともにボロボロ。

銀行のATMの前で倒れて主人に銀行員の方から連絡がいき仕事中なのに迎えに来てもらったり、リストカットしてみたり病院でもらってる薬を一気にに飲んで(主人いわく)夢遊病みたいになって訳のわからないことを口走ってフラフラ歩き回ってみたり、そのエピソードといったら数知れず。
で、あげく精神科の病院(精神病院とはちょっと違うと思っているのであえてこういう表現で)に入院するはめに。
この時は辛かった!食べ物はないし(勿論通常の食事はありますが)外出もお風呂も自由にできなくて持ち物もすべてチェックされて(こと刃物に関していえば女性必須のT字の安全カミソリまで没収される有様)。
常に(お風呂の時でさえ)監視されていて結局1度目は支持された期間まで全然耐えられなくてたった1週間で、”退院させてくれないなら脱走してやるぅ”と脅しのようにして退院してしまいました。
2度目の時はもっとゆるい心療内科への体力回復の為(名目上)の入院だったので3ヶ月くらいはいました。
まあ結果何も変化はなかったのですが・・・ただその頃は体重も最低レベルにきてて本当に歩くのも困難なくらいだったので毎日点滴をしてた分、多少の体力はついたのかな。
多分・・・あとは何だろう。

自分の過食暦を書こうとしても正直精神状態が悪いときのことは自分でもよく思い出せません。
自分がどういう生活をしてどういう思いで生きていたか脳が正常に働いていなかったのかいくら考えても空白になっていてわからないのです。
主人に聞けば少しはわかるかも知れませんが・・・ただ誰にも会いたくなくて、(食べること以外)何にもする気がしなくて友達との連絡もすべて絶ってしまい今では友達は誰もいなくなってしまいました。
過食暦ってこんな感じでよいのでしょうか?まだ他に書いたほうがよいことがあればどなたかアドバイスください。
長々となってしまったので今回はこれで終わります。

怖い過食症

女性 無職 26歳 O型 宮城県

こんばんは。

皆様、今日も一日、お疲れ様です。
今回は、私の、過食の状態について、ちょこっと書かせてやって下さい。。。

ええと。
過食が始まったのは、去年の一月でした。
それは何の前触れもなく、突然、過食という症状としてやってきました。
それまでは拒食でした。
何と言いますか、、、一日で、拒食が過食へと変わったのです。
理由は解りません。
全く急な出来事でした。
それからは、毎日、過食と過食嘔吐が続きました。
初めは動揺しましたが、日に日に減っていく体重が少し嬉しくもあり、又、「生きてるから大丈夫」と思って、特別気にしませんでした。
そんな毎日が続くと自然、吐けなくなる日がやって来ます。
体重の増加。
止まらない過食。
増え続けるゴミ。
底をつく預金残高。
不安定な健康状態により、働き口を見つけることも容易ではありません。
食事を外で摂れない(吐くから。食べだしたら止まらないから。)ので、外出もままならなくなります。
自分への嫌悪がここから始まります。
と言いますか、自分を好きになったことはありません。
ですが、ますます嫌いになりました。
自分がここで死んでも誰にも気付かれずに腐った死体になるんだろうな。。。
そのくらい、家族とは関係が薄くて、平気で一ヶ月以上会わなかったりします。
(告知してからは違いますけど。)太った自分が許せない、吐いてる自分が許せない、こんな自分は許しちゃいけない、死にたい死なせていっそ殺して!!!  そんな想いで毎日を過ごしていました。
過食が何を意味するのかよりも、自分の生きる意味についてばかりに気をとられて、「自分に生きる力が無いからこんな変な状態になってるんだ。
だったら自分は不適格者なのだから抹消されて然るべきだ」という想いに縛られていました。
そんなふうに過食と過食嘔吐を続けて、、、でも、生きていました。
何故か、生きているのでした。
結局、生きたかったのでしょう。
ずるいんだな、私。
自分のことばっかり考えて、自分の好きなようにして、それでいて家族に気にしてもらいたかったのかな。。。
そう、思います。
すいませんワケ解らなくなってきたのでいったん切ります。
続きはまた今度、書かせてやってください。
それでは、また。
お身体、心も、ご自愛ください。

過食嘔吐について

女性 学生 21歳 A型 東京都

退院(中3の10月)してから、お母さんは大量の朝食を作って食べさせられたり、ぶくぶく太っていくんじゃないかと怖くなって、拒食気味でした。
突発的に食べ始めたらお皿が空になるまで止まらなくなることがあって、その時は喉に指を入れて吐こうとしました。
すごい苦しくて、食べ物を粗末にして、罪悪感で一杯だった。
本当に私は死んだ方がいい、死ねって頭の中に響いて浅く手首を切ったり、引っ掻いたり、とにかく自分が許せなかった。
いつからか記憶がないのだけど、高1になってからかな。中二,三と親しい友達と離れて、
一応グループに入って入ってはいたけど全然馴染めなくて、頑張って付き合っていた。
でも高1になって、すごい氣の合う新しい友達ができた。それから食べるようになってきて、ある日過食してしまった時、
お腹はパンパンで、太るのが怖くてトイレに駆け込み吐こうとしたら、お腹を押しただけで吐けてしまった。
指を使うのとは違って、自然に戻した。痛くもないし、苦くもない、あと罪悪感が殆どなかった。麻痺したのかな。
それからは過食症へと転じて行った。高校の時はお小遣いも少なかったから、一日1~2回で量も今の半分くらい。
菓子パン4個とか、クッキー一箱とか。吐くのが簡単だから少しでもお腹が膨れたら、すぐ吐いた。
開き直って、吐いた物に対して何も考えないようにした。食べて、吐いて、忘れて何もなかったように振舞う。
大学に入って、自分の自由になるお金が増えて、すごく忙しくなったら(勉強、バイト、部活)、過食嘔吐も加速度的に増えていった。
私の過食嘔吐がなかなか治らないのは簡単に吐けるから。
ストレスがかかると、責める声や雑音が大きくなるからそれを消すためにも過食が使われる。食べている間は何も聞こえない。
だけどお腹が張ってくると、落ち着かなくなって、空っぽにしたくなる。空腹の状態が安心する。
でも今本当に酷くて、予定や約束、授業とか過食をしちゃって遅れたり、行けなくなる。
過食しながらじゃないと何もできない状態が多くて、家にいることが多くなった。
図書館とか電車乗って買い物へ行ったりしたいけど。今はぎりぎり大学生活をこなしている感じだから、どこにも行けない。