過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

入退院を繰り返しても・・・オーバードーズ、万引き、止まらなかった過食嘔吐

女性 主婦 31歳 A型 茨城県

初めて、病院にかかったのは発症して三か月くらいたってからでした。

自分で、この食べ方はおかしいと思い、長崎市立病院の心療内科を受診しました。

正直、その時の診察内容は覚えてませんが、私の中の気持ちの変化は全くなかったと思います。

それから一年くらい経って、祖母のお金を盗んだことが発覚し、親から強制的に大村共立病院というところに入院させられました。

その病院は主に、思春期病棟というところがあり、思春期の子供たちが入院していて、病院というよりは寮という感じでした。

私は個室で、自分の部屋と変わりないぐらい悠々自適な生活ができました。

摂食障害ということで入院していたので、食事制限、買い物には制限がありましたが、悪知恵が働き、あの手この手を使い、過食嘔吐を続けてました。

その時の主治医は野口先生といい、とても優しく、よく話を聞いてくれました。
その先生には、わりとなんでも話し、そして依存していってしまいました。

一日一回、主治医とカウンセリング、毎食後に抗うつ剤を服用するなどの治療でした。

また、その病棟は色んな精神病をもった、そして歳も近い子がたくさんいて、楽しかったのですが、駄目なことに、そういったつながりで、万引きやオーバードーズを覚えてしまいました。

二十歳も超えていたこともあり、水族館にアルバイトとして病院から特別許可をもらい、病院から通っていました。

ときどき、宮田先生という摂食障害専門の先生の話もありましたが、全く響くことなく、逆に反発したくなったりしました。

三か月ほど入院したところ、主治医の野口先生が佐世保の愛恵病院に転勤することになり、私はどうしても野口先生がよかったので、追いかけることにしました。

共立病院の退院が決まり、なぜか興味本位で、はじめてのオーバードーズをしました。

その際、宮田先生は退院させるべきではないと言っていましたが、母はこれ以上この病院にいたら、ますます悪いことばかりを覚えてしまうと思い、押し切って退院しました。

長崎市から佐世保まで約二時間…月1のペースで診察を受けました。

診療時間は一時間~一時間半。
そしてルボックスなどの抗うつ剤を処方されました。

先生と話すことがなによりも楽しみだったので
往復四時間の移動も苦ではありませんでした。

そして、長崎市の保育園に就職。

しかし、仕事のきつさや、人間関係で症状は悪化…
オーバードーズをを繰り返したり、左足の足首から下をカッターなどの刃物できるなど、過食嘔吐以外のことまでするようになりました。

オーバードーズををするたびに、母や姉は泣き、救急車で運ばれ、胃洗浄、一日入院などしました。

足を切るときはわりと深く切るので、外科に行き何度も縫う羽目になり、そこの看護師さんが泣きながら、もうしちゃ駄目だよ。と何回も言われました。

それでも治ることはありませんでした。

そして、ついに職場に迷惑をかけれないということで、仕事を辞め、愛恵病院に入院することにしました。

ところが、その愛恵病院は重度の精神病の患者がたくさんいて、共立病院と比べると恐ろしいくらいに違い、奇声をあげたり、文句をつけてくる患者もいて、私の精神もすっかりおかしくなりました。

そして、オーバードーズをしました。

ところが、その薬が体に合わなかったのと、発見が遅れたことで、意識が混濁し軽い昏睡状態におちいりました。

その時初めて、死を感じたと思います。

そのオーバードーズのおかげ?で
オーバードーズ、足を切る行為は全くしなくなくなり、過食嘔吐もパタリとやみました。

愛恵病院を退院し、新しい職場に母のコネで働けるようになりました。
そこはこじんまりとした幼稚園ではありましたが、人間関係も良く、仕事も母がフォローしてくれたのもあり、とても働きやすかったです。

でも次第に過食嘔吐の誘惑に負けてしまい、再発…。

それまで週1で愛恵病院に行っていたのですが、このまま依存してはいけないと思い、長崎市の三和中央病院へ転院することにしました。

その時の先生が松本先生と言い、言い方はざっくばらんとした感じではありましたが、印象は良く、通院することにしました。
診察時間は10分程度でしたが、話した後はすこしだけ心が晴れました。

それから、過食嘔吐が日常化したある日、お金に困った私は、食料を万引きし、警察に捕まりました。

初犯であったことや、両親が近くにいたこともあり、職場に知らされることはありませんでしたが、あの時の母の顔が忘れられず、それは今でも私の心の中に焼き付いて離れません。

それでも過食嘔吐をやめることができなかったので、両親はもう二度と万引きさせないように、過食費を出してくれました。
それに甘え、毎日夕飯、夕飯後に3回過食嘔吐をしていきました。

昼は園児がいるので小さいお弁当を作りそれはどうにか食べていました。

しかし、体重が極端に落ち、春休み、冬休みをつかい三和中央病院に入院することになりました。

そこでは、体重増加が目的であったので、過食嘔吐は自由にできました。

新学期が始まると退院し、また通院の日々でした。
特に症状が変わることなく、10分程度のカウンセリング、抗うつ剤の処方…

それが三年ほど続いたのですが、一向に良くならないので、次第に通院から足が遠のき、行かなくなりました。

薬がなくても過食嘔吐ができれば、精神は安定していました。

過食嘔吐以外はすべて順調で私自身、過食嘔吐が当たり前のせいかつになっていました。

そして現在、やはり一人では何も解決できないとわかり、この無料相談に相談することにしました。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。