過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

なぜカウンセリングを受けるの?

女性 主婦 30歳 AB型 愛知県

私が初めて摂食障害になったのは中学2年の時。
人付き合いが苦手な私は学校に友達が一人もいないし、何かと嫌味を言ってくる大嫌いな男子と同じクラスになって毎日通学するのが苦痛だった。
でも登校拒否なんて母親が絶対許さなかったから嫌々でも通わざる得ない。

小学校高学年ぐらいからぽっちゃり体型でそれがとても嫌だった。
夏のプールの授業で水着を来た時、嫌いな男子にまた何か言われる、痩せれば何も言われなくて済む。
それが無理なダイエットを始めたきっかけだった。

食べ物の量を極端に減らし、みるみる痩せていった。
痩せていくうちに母親や姉、同級生から羨ましがられた。
それまでそんなことは一度もなかったから嬉しかった。
もっと痩せよう、そう思って食事の量をさらに減らしてほとんど幽霊部員だった運動部活に積極的に参加した。

順調に体重が減っていったある日、学校から帰宅すると玄関で父親とたまたま会った。
その時父親は私の顔色の悪さに驚いたらしく、私が普通の状態じゃないことにいち早く気付いた。

それからちゃんと食べるように言いつけられ、仕方なくその通りにしたが当然体重は増えていく。
せっかく痩せたのにまた太ってしまう、そう思って食べた物を吐き出した。

吐いてことが親にバレて地元の精神病院でカウンセリング治療をすることになった。
訳がわからなかった。
自分はどこも悪くないのに何故治療が必要なのか、そう思いながらカウンセリングを受けていた。

カウンセリングに通うようになって数ヵ月後、吐くのは治まったが過食は止まらず、体重はダイエットを始めた時に戻ってしまった。
そうなったのはカウンセリングのせいだと思い、カウンセリングを受けるのが嫌になった。
中学卒業を期にカウンセリングを中断した。

例の男子とは別の学校に通うことになったし、過食も治まっていた。
だからもうカウンセリングはいいだろうと自分で判断した。

でも高校に入って些細な人間関係が原因でまた過食が再発。
しかも今度は過食嘔吐だった。

それでまたカウンセリングを受けることになった。
カウンセリングを受けている間は症状が治まったので、また高校卒業と同時にカウンセリングを止めた。

高校卒業間近になって母親が躁鬱病になった。
原因は実家で営んでいた写真屋の経営が中学ぐらいから傾いたこと。
躁状態になった母親の奇行がストレスになり、普通食嘔吐も重なって胃を壊した。
母親が入院した途端、嘔吐は治まった。
でも母親が躁になる度に同じことの繰り返し。

※摂食障害の患者さんは良い治療を受けてもマイナスな受け取りをする傾向があります。
あくまで参加者の感想であり、センターの立場とは一切関係ありません。