過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

家族までも巻き込んで

摂食障害の患者さんと暮らすご家族も
患者さんとの関係に悩み、精神的にギリギリになることも。

家族の方も巻き込むことが過食症の怖さの一つです。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 会社員 30歳 A型 宮城県

15歳の時に拒食症になり、食べても吐くを繰り返し、いつの間にか量が増え、過食症になっていました。

それまで、私は自分自身が嫌いでした。

絵が好きで小さな頃から絵を描いてばかりでしたが、学校の先生からたびたびコンクールに出すよう頼まれたりしているうちに、人に見られるための絵しか描けなくなりました。
自分の描きたいものがわからない。

学級委員や生徒会など推薦されるままにやっていましたが、本当はやりたくなかった。

ただいい子でいたいためだったと思います。
誰にも嫌われたくなかった。
自分らしいって何なのかわからず、いつも人に合わせて人の目ばかり気にしている自分が大嫌いでした。

一度先生に学級委員を頼まれたときに断ったことがあります。
また、絵のコンクール出品も断ったことがあります。
家に学校から電話が来ました。

ある時水を飲み過ぎて吐いたことがきっかけで、食べ物が入らなくなりました。
食欲を抑えられている自分に、何か高揚感を覚えました。
自分をコントロールしているという幻想に嬉しくなりました。
その頃から自分の中に二人の自分がいるような感覚にとらわれることがよくありました。

体重はどんどん落ちていき、小児科に入院しながら高校に通いましたが、
ほかの患者さんの残したものまであさって食べ、無我夢中で吐く私にお手上げで、とうとう高校を休学し、大学病院に一年入院しました。
精神科の閉鎖病棟でした。

両親は変わり果てた私の姿が理解出来なかったと思います。
母は何度も昔の元気いっぱいだった私に戻って、と泣き、周りの同じ年頃の女の子達と比べる日々でした。

父は…一番期待をかけていたのかもしれません。
なのでショックが大きかったと思います。

家の食べ物を食べ尽くす私に、家族の分がなくなるからと食べ物を隠しました。
一つ一つに名前を書いたり、冷蔵庫に『勝手に開けるな』と貼紙をしたりと、父もノイローゼだったと思います。
私の顔を見る度に罵声や暴力をふるうので、父の足音に怯えながら、家にいても部屋に引きこもり、部屋で必死に吐いていました。

吐いているのはほとんど万引きしてきたものでした。
万引きがひどくて裁判になりました。
父は弁護士と意見が合わず、出席しませんでした。

父が私を怒鳴り、私も何とか反抗し、家はいつも泣き声と怒鳴り声がとびかっていました。

そんな家を出て、あちこちを転々とし、また3年前に地元に帰って来ました。