過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

過食嘔吐の先にあるのは、孤独だけ(静岡県29歳)

44734 過食症になって 2007/06/03 22:46
女性 会社員 29歳 O型 静岡県
私が、過食症になったのは、14歳のときです。
引っ越した先の中学でなじもうとがんばりました。

両親は自営業を始めたばかりで忙しく、家には夜中にならないと帰ってきませんでした。
その頃ダイエットをはじめ、拒食症になり、バレーボール部で激しい運動
をしていたためどんどん体重は落ちていきました。
始めはそれが楽しくて、体重が落ちることが全ての目的になっていました。
35キロになったとき、近くの国立病院に入院させられましたが、
その後も体重は落ちていき、30キロをきったところで、ここでは治せない、
と言われ、隣の県の大学病院に入院しました。
中学時代は入院と退院の繰り返しで、病院での生活のほうが家にいるより長かったです。
退院とともに、過食嘔吐に移行し、もうそれからは、歯止めがきかなくなりました。
一日中食べて吐きの繰り返しです。
家の中のものは全て食べつくし、どこででもはきました。
体重は30キロ前後、見るからに骸骨です。
それでもやめれず、食べるものが無くなれば、万引きを繰り返し、警察に捕まり、
親は泣きながら頭を下げ、それでも、食べれるものは何でも、近所のぱんやのパンの耳の袋詰めでもよく、食べまくりました。
吐くのもありとあらゆるところで、コンビニのトイレ、(家のトイレが詰まって壊れた)公園のトイレ、道路わきの茂み、
ありとあらゆるところで吐きました。
親を責め、引きこもり、何とか高校に行くことが出来ましたが、見た目もがりがりで、食べることしか頭に無いため友達も出来ません。
万引きの補導が続いたとき親は泣いて「一緒に死のう、お母さんももう生きているのがいやになった」と泣かれました。
なんとかしなくては、と思い、大学への目標をもち、体重は標準に戻っていきました。
昼間に少し食べれるようになったことと、回数が少し減ったためだと思います。
大学に入ったあとも症状がなくなることはありませんでした。
友達は出来て、みんなに、隠すことに必死で表面上は生活できている
状態でしたが、みんなと食事をしてもそのあとで吐きに行くといった感じです。
看護師になってからも、周りにうまく隠して過食嘔吐するすべを見につけてしまっただけで、症状が治ることはないです。
付き合っていた人と結婚してからも症状は消えず、お互い不規則な生活をいいことに、夜勤明けで過食嘔吐、休みの日に過食嘔吐、
一緒に食べた食事も吐く、吐くことを前提に食べているから、みんなは私のことを大食いだと思っている。
そんな生活の中、夫の浮気、離婚。
唯一、世の中で信じられる人だったはずなのに、誰もなにも信じられない、症状はまた悪化、一日中過食嘔吐。

もう、これ以上こんな生活をしたくない。
食べ物にとりつかれたままの生活から、抜け出したい。
みんなを好きになれて、信じて、安心できる場所がほしい。
もう、寂しいのはいやだ。過食嘔吐の先にあるのは、孤独だけだ。