過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

怖い過食症 

女性 自由業 34歳 A型 東京都

過食症が始まってから、もう16年経ちます。
過食症は治さないとこれだけの時間を浪費することになります。
私の人生のほぽ半分が過食だったということです。
もともと食べ物に好き嫌いが多くて、小食でした。
体もすごく痩せていました。
でも母が、糖尿病の危険があるとかで、ダイエットを始めた時にそのダイエットに付き合うことになりました。
高校1年生でした。
ご飯を減らして、毎日のウォーキング。
もともと46キロしかなかったのに、さらに3キロ痩せました。
その時の「ご飯は太るもの」「運動は毎日」という固定観念が今もなかなか抜けません。
その後に受験のストレスから、過食が始まりました。
最初はクッキー一箱。
(マクビティーのダイジェスティブビスケットにクリームの挟まったやつでした)その時のことはよく覚えています。
食べた後に「あ、全部たべちゃった」って思ったのも覚えてます。
それから、デッサンの研究所の帰りに母に見つからない様に、お菓子を食べてました。

それから、どんどん過食の量は増えました。
お菓子一箱なんかでは済みません。
仕事を始めてからは、ほぼ毎日、仕事帰りにお貸しやパンを買って、実家の時は家で過食できないので、外で過食してから帰宅するような始末。

ひとり暮らしを始めたら、自宅で仕事が終わってから、仕事場で残ったパンを沢山もらってきて、本当に何個も食べました。
私は嘔吐がないので、体重もあっというまに

60キロ近くまで増えました。
これは経年増加です。
過食の量は減る事はなく確実に量が増え続けます。
外食で過食することも増えました。
お昼ご飯に2軒3軒と廻ることもありました。
お金もとてもかかっていたと思います。
それから、過食が、例えば仕事場の移動、引っ越しなんかがあると軽い初期停止みたいな感じで何ヶ月も止まることも何回かありました。
でも必ず、再発。

一番長く止まったのは、妊娠中の時でした。
一度も出ませんでした。
でも産まれてからはまたすぐ始まって、その時も体重は60キロ近くになったと思います。

過食は本当にきちんと治さないと、こうして再発を繰り返します。
そして、病気ときちんと認識しないと人生の半分もの時間をこうして、無駄に浪費して心をすり減らしていくことになって、そして食べ物のことしか考えられなくなって、楽しい幸せな生活からどんどん遠くなって行きます。

過食の次の日は、必ず顔とか体がむくんだりします。
偏った種類の食べ物を沢山摂取する事は本当に体によくないって頭でわかっていても、コントロールできないのが、この病気です。

過食で太った時に、周りから「たくましくなったね。
」上司からは「デブ」と言われたこともあります。
だから、周りから褒められる様に仕事を本当に頑張りました。
自分自身の体がそうして評価されないのであれば、仕事で評価してもらうしかなかったからです。
5年間、月に3回や4回の休みでほとんど働き続けました。
立ち仕事と若いのに年上の人を使う仕事だったので、精神的にはもうぎりぎりでした。
そして仕事を辞めると決めて、結婚した後、重度の鬱になったのです。
頑張る事で自分をなんとか保てるこの病気の私には、鬱になるのは地獄です。
やりたいと思っても体が動かない、朝起きられず掃除も洗濯もできない、ご飯も作れない、当然働きたくたって働けない。
そんな体なのに、アルバイトの面接に行ったことだってありました。
それで、どんどん鬱はひどくなって行きました。
寝た生活は2年続きました。
その間、電車も乗れない自分に、「死にたい」と思って溜めていた抗鬱剤を沢山飲んだりしたこともありました。
鬱の間ももちろん過食です。
こうなるともう二重苦です。
過食症になると鬱を併発することが、本当に多いようです。
精神科の先生もそうおっしゃっています。

<編集後記>

鬱と過食を併発した時本当に生きることの意味なんてあるのだろうかと、思いました。
だから、病気を完治させて、本当に生きるということを私は味わってみたいと思う。
自分の為に生きるっていうこと。
自分の人生は一回しかありません。
そしてみんな致死率100%です。
その中に、「過食の完治の為の最大限の努力」の時間がほんの少しあっても私はいいなって思いました。
だから、今、 大好きなみんなといます。
そしてここに来るみんなと一緒に病気を完治させたいと強く思います。
そして、過食症はれっきとした心の病であること、死に至る(それは体の病気での死ということだけでなく、精神的な死、心が死ぬという意味も含めて)病気であることを、はじめましてのお友達たちにも認識して欲しいと思います。