過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

過食嘔吐がどれだけ残酷な病気か 

女性 主婦 39歳 O型 京都府

私がどれだけ過食嘔吐で苦しんできたかを知ってください。
私は今、39歳、小学生の娘2人をもつ母親で、夫も入れて4人の核家族です。
7月中に仕事は辞めますが、今はまだ働いています。

私がダイエットを始めたのは高校2年生のころです。
小さいときからぽっちゃりしていて、体型に軽いコンプレックスがありましたが、高2の時に一念発起して、ダイエットを始めました。
体重はみるみるへり、165センチなのに50キロを切るところまでいきました。

ところが高3になって受験期になると、関心事がダイエットから勉強に移りました。
また親の希望(医学部)に沿わない進路を選んだため「医学部に行かないなら○○大ぐらい入ってもらわないと困る」と言われ、それがものすごい重圧となり、食べて勉強し、食べて勉強しで、あっという間に10キロ太りました。

精神的には親のロボット、いや奴隷であった私は、とりあえず親の指定した大学に進学したものの、心は空虚でした。
しかし小さいときから「他人よりいい成績である」ことに最大の価値を置く母親、それから常に父親の顔色をうかがう生活、親が気に入らないことがあれば、さとすよりまず殴る・たたく、そんな家庭から離れて下宿を始めたときには本当にせいせいして嬉しかったです。
一人暮らしがさみしいという友人が信じられませんでした。
今でも親のことは嫌いです。

下宿を始めてとりあえず再びダイエットをして5キロぐらいやせたものの、その後にはすぐ過食し、嘔吐するようになりました。
嘔吐することをどうやって知ったのかは覚えていません。
多分やってみたらすぐ吐けたのかな?最初は1週間に2回ぐらいだったし、「食べ過ぎちゃったなー」ぐらいで、まさかこれが長く苦しい過食嘔吐の入口だとは思っていませんでした。

3年生になると、過食嘔吐を1日に最低1回はするようになりました。
友達が誘ってくれても、なんだかんだと理由をつけて断り、頭の中は今日の食べ物はどこで買うか、ということでいっぱいでした。

4年生になると、卒論を書くことが主な作業となり、時間に融通がきくようになったこともあり、過食嘔吐はエスカレート。
1日に3回、4回と過食嘔吐を繰り返し、食べ物がなければ卵とバターと小麦粉を混ぜてあっという間にクッキーのようなものをオーブントースターで焼いて食べるようにさえなりました。
当然勉強は進まず。
集中力も低下。
ものを口に詰めこみながら、無意味に本やノートを机に広げ、夜明けまでただただぼんやり眺めていただけの日も数知れず。
「ヘーゼルさんの論はおんなじところを回っているばかりで全然進んでいない」と指導教官にも怒られ、ものすごく焦りは覚えたものの、下宿に帰ればやっぱり過食嘔吐の連続で、「助けて、私はどうなるの」と半狂人のように感じていました。

それでも何とか卒業し、過食嘔吐も誰にも知られず、会社に就職しました。
その部署で初の女性総合職として採用され、気持ちだけは「私が頑張らないと後が続かない」「やらなくちゃ、やらなくちゃ」というものでしたが、やはり寮に帰れば過食嘔吐、休日も同僚の目を盗んでトイレで嘔吐、という悲惨な毎日で、仕事中も集中力が続きませんでした。

23歳の時今の夫に出合い、24歳で結婚しました。
夫がすぐに海外に赴任したため、新婚生活は海外で始まりました。
生活が激変したこと、また実家の戸籍からも名を抜き、完全に法的に親から離れたことで、ぴたりと過食嘔吐が止まりました。
海外からは1年少々で帰国したのですが、結婚後11年間、全く症状が出ませんでした。
この間妊娠・出産で2人の娘を授かりましたが、その間も平穏に過ごすことができ、「あの苦しい過食嘔吐の時代は何だったのだろう」と思うくらいでした。

ところが何と11年もたってから再発。
スポーツを始めて少しやせたところ、「この体重をキープしたい」と思い始めたのがきっかけです。
我ながら本当に信じられませんでした。
どうしてまたこの病気が出てきてしまったんだろう。
まるで壁に塗り込められた死体から怨霊が抜け出し、私の血の中を巡り始めた、そんな恐怖をおぼえました。

「どうしよう、どうしよう」と思っているうちに、それまで晩ご飯の後にしか過食嘔吐していなかったのが、ある休日午前11時ごろからしてしまったのです。
これはまったく、学生のころ、たどったのと同じ経過です。
ということは、一日に3回、4回と過食嘔吐し、食べ物のこと以外は何も考えられない日が再び来るのか…この考えが頭の中をよぎったとき、すでに経年増加の経験が一度ある私が感じた恐怖心は並大抵のものではありません。
嘔吐したとたん、次の食べ物のことを考える…、目の前にやらないといけないことはたまっているのに、食べることばかり考えて動けない…、すべてのことが面倒になり、まるで引きこもり状態で食べ続ける…、なんと恐ろしいことか。
人間であって人間でない。
そう、覚せい剤の常用者と同じです。
ボール玉になって、その坂を転がり始めた自分が自覚できました。
そしてすがるような思いでセンターにやってきました。

11年間も止まっていたのはなんだったのだろう…。
結局、環境の変化でマグマを封じ込めていただけなんですね。
母は私を肉体的・精神的に追いつめ、私は過食嘔吐、では私の宝物である二人の娘はどうなるのか!? それを考えると、絶対に完治しなければならないと思います。

私には男の人に走るとか、借金をしてまで食べ物を買う、とかの経験はありません。
だからちょっとインパクトに欠けるかもしれないけど、この病気の恐ろしさはまさに「心とからだをむしばむ」という一言に尽きると思います。

最近掲示板に来られたお友達、初期停止しても、多分また再発します。
この病気は一度は自分の心に深く深く向き合わなければ絶対に治りません。
11年の停止を経験した私が保証します。
(保証などされたくないですけどネ!)一度しかない人生を無駄にしないよう、いっしょに完治をめざしましょう。