過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

本当に怖いこの病気について

女性 主婦 36歳 B型 兵庫県
私は過食嘔吐22年です。
22年ってみんなに想像できますか?あり得ない・・・と思う人もいると思う。

私自身、22年もこの病気でいるなんて思えなかったし、どうして22年の間に治せなかったのか?また22年も体を酷使してきてよくこれまで生きてこれたなとも思っています。

嘔吐を知ったのは友達からでした。
痩せたい願望が強かった私は吐くことがそんなに怖いとも思わなかった。
家族(特に母)からどんどん女らしくなっていく体型をジロジロ見られることに耐えられなくて、痩せて自分を変えてしまいたかった。

ずっとこの病気になったのは家族や友達のせいだと思っていました。

行きたくなかった進学校に行かなければ、友達から吐くことを聞かなければ、この病気にはならなかったのに。
ずっとそう思っていた。

でも、ここにやってきて、‘なるべくしてなった病気だな’と思うようになりました。
過食嘔吐のきっかけは友達からの一言だったけれど、私の育ち方、生き方は過食嘔吐で紛わさなければやっていけなかったと思うのです。

私の家庭は物心ついた時には父母、嫁姑関係は最悪でした。
母は自分が一番不幸な人だと思う人でした。
「あの人(父のこと)と結婚しなければ」「この家の中で自分だけがよそ者だ」「子供なんて産まなければ」「一人ならもっと自由に楽に生きられたのに」と、私は自分の存在を否定されるような言葉をずっと聞かされてきました。
とても辛かった。

でも、自分のことよりも母のことを可愛そうだと思ってあげなくてはいけないと思ってきました。
家族がみんな仲良くなってほしかった。
祖母の悪口を言う母と母のことを認めてあげない祖母との間に立って、どちらにも肩入れせずに中立を取ろうとしていました。

子供のままではやっていけなかった。
感情なんて持たない大人になりたいと思っていました。
そのつけが中学生になった頃に出てきたのだと思います。

最初は拒食でした。
中学2年の頃に過食嘔吐を知りました。
経年増加は正直なところよく分かりません。
最初から毎日過食嘔吐していたから。

一人暮らしを始めて家族から開放されたときが一番症状としては酷かったと思うけれど、心は楽だったような気もするし。

22年も経て、今だから母との関係も自分の病気のこともようやく認めていける年齢になってきたのかなと思います。
なるべくしてなってしまったこの病気。

危険は承知の上でも私にとっては生きるためには必要だった。
でも、その反面、この病気になったことで失ったものも多いです。

楽しめるはずのものも感情鈍磨のせいで、私にとっては虚しいだけだった。

今までまともに生理がきたことはありません。
排卵が自力では起こせないのです。
生理がこないことが、これからの人生においてどんな影響を及ぼすのかは分かりませんが、きっと何かのつけは来ると思っています。

これまでの人生でもとても辛い思いをしました。
私の子供は不妊治療でようやく出来た子です。
結婚して子供が欲しいと思っても出来ない苦しみ、それは自分がやってきた過食嘔吐のせいかもしれないということが、更に自分を追い込ませました。

私は22年もかかってしまったけれど、それでもこの病気の怖さを今ごろ真剣に考えることが出来て、良かったと思っています。

でも、22年は本当は長すぎる。
22年も皆には苦しんで欲しくないのです。
放っておいたらあっという間に22年も30年も(一生も)あっという間です。

みんなが‘今’気付けたことが救いです。
簡単には治らない病気。

でも私のように病気と長く付き合わないうちにサヨナラしてほしいなと本当に思います。

22年なんて簡単には言い尽くせられない。
でもこれまでを無駄にはしたくないです。
自分とみんなの完治を心から願います。