過食症と過食嘔吐 心の声を聞いて

食べたいけど食べたくない。普通に食べられない。
過食症になってからのみなさんの体験談をまとめました。

怖い過食症人生

女性 会社員 27歳 B型 長野県

過食嘔吐になったのは今から5年ほど前だったかな。
学生から社会人になり、男勝りな仕草と、姐御肌な性格で
男らしさ持ち味(?)だった為、
特に化粧とか服装とかで、女らしい事もせずにきました。
社会人になり、さすがに何処へでもGパンで行く訳にも行かず、
化粧をするようになり、スカートやスーツも着なくちゃならない
場面にも出るようになり、逞しかった体型も社会人の
時間規則の中で、徐々に徐々に10㌔位痩せてきました。
それでも普通よりだいぶ逞しいですけど。(笑)
それでも、着れる服のバリエーションが増えたり、
女らしい格好をしても不似合いじゃなくなってきたのは
やっぱり嬉しかった。

今までは似合わないからと、諦めてただけで、
やっぱりあたしも女の子なんだな~って思い始めた頃・・・。
会社でやっぱり仲良くなりたいのにいじめか??って云う
先輩の態度にストレスを感じてたのかな~。
その先輩の態度に対して、
「負けてたまるか!」ってしおれる事もせず笑顔で
「休んでたまるか!」って会社も休まず
「どうしてかな~?私は仲良くしたいのに」と
恨む事も怒る事もしないでなんとか弱気にならない様に
元気な自分である事が何より大事だった。
今思うと、そんな事で凹む自分ではありたくなかったし、
そんな自分を母は喜ばないだろうって思ってた気がする。
いつもいつも前向きに、負けずに、力強く生きる私であって
欲しいと云う、多大な期待にいつも応えたかったんだな。
でも、現実は会社でもその職場に入る時から呼吸が浅くなり
何かの特別な気合が必要で、その気合によってなんとか
平常な、強気な私を演じられていた感じだった。(無意識)
そんな会社での時間が楽しい訳も無く、とにかくもう、
「帰宅したらお腹一杯味を付けたご飯を食べよう!」って
なんだかその言葉で自分の機嫌をとって定時まで居た気がする。
で、帰宅したら大盛り3人前位のチャーハンをたいらげて、
ふぅ・・・って落ち着くの。ちょっと幸せな気分になって。
その後、え、せっかく痩せてきた10㌔が戻っちゃたらどぉしよう
って、もうすでにお腹いっぱいの胃袋に、水を流し込んで
指を入れて無理やり吐き出したのがキッカケ。
後は、元々食べることが大好きだったし、
食べてもぶくぶく太らずに済むって思えば、
甘いものとか、油っぽいものとか気にせず食べれた。
人間関係で衝突して、真剣に切れ掛かってても
時の感情で人やモノに当たらない性格である事が
正しい生き方だと思い込んできた私は、笑顔ですまし
自分の車へ戻ると、泣く事も怒る事も全てを、
食べ物を食べているその幸せな快感で押し流した。
食べ物で、その荒れ狂った感情が薄れていくのが自覚できた。
吐きダコができ、そのもっと奥へ入れなきゃ吐けなくなり
もう一個吐きダコができ、口の脇がいつも引っ張られて切れた。
母親には、その手が汚い、吐きダコなんてみっともない。
トイレがが汚れる、掃除しろ。
定番ですが・・・もったいない、意志が弱い、吐くほど食べるな。
そんなん言われても、こんな手になっても、こんな口になっても
痛くても苦しくても辛くてもやめられないのがもっと辛いって、
母親に微妙にアピールしてた。
解る筈もなかったので、案の定悪化しましたが。(笑)
夕飯をお腹いっぱい食べた後、車に乗って見切り品ツアー。
吐くのもいつしか上手になって、胃を押せば出るし
吐きダコは消え、口も切れなくなった。
見た目にはアピールする傷は消えたけど、
簡単になっただけ、気軽にいつでもできる様になった。
要は悪化進行したって事なんだね。
私の過食嘔吐は、痩せる為ではなく、
胃が破裂する勢いで食べ過ぎたものでの体重増加阻止の為。
だから、通常の生活は支障が無い。
痩せたら尚結構って思ってるけど、
通常の生活や運動ができなくなるのは、困る。
私は病気の症状まで、母親に気を使ってるんだなー・・・。
母親が好きな娘を演じる為の、平常心を維持する行為なんだ。
お手伝いをよくして、
人に気遣いができて、
明るく元気で前向きで、
何があっても負けないで、
優しく思いやりがあって、
何を頼まれても嫌な顔もせずやりこなし、
・・・こんな娘で居るには、
吐いた30分後にヒ汗とめまいで倒れてる訳にはいかない。
また、吐いていることを知っていても、
目の前で食べてすぐトイレとか
何を思われるか、申し訳無くて行けれない。
私ね、母親に気を使わずに病気になってしまいたかった。
いっそ壊れてしまいたかった。
普通の一般社会人もできない位、潰れてしまいたかった。
なんで、病気の加減まで、人の顔色伺っているんだろうって。
それすら、できなかった。