本当はこわい。過食症と過食嘔吐

センターの相談を受けた方に過去の体験を綴ってもらいました。専門スタッフによる「過食が止まる無料相談」も行っています。

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タグ : 拒食症

20キロ台になっても、自分が病気だと認めることはできなかった。

女性 主婦 38歳 B型 北海道

19歳の頃、摂食障害になった。
地元の田舎町から、専門学校に行くために上京し、姉と二人暮らしをしたが、上京してすぐにダイエットのために食事制限をしたことをきっかけに、拒食が始まる。
アルコール依存も同時発症。酒は空腹を感じないようにしてくれ、拒食に拍車をかけた。

みるみる体重が落ち、最初は、着たかった洋服を着れたり、痩せた自分が太っているよりずっと綺麗になれたように感じた。
姉は、食べなくなる私を心配して、色々な言葉をかけてくれた。でも、私にとってはプレッシャーとストレスでしかなく、姉が作ってくれた物も、食べているフリをして口から出していた。
夏休みに帰省した時、母親が私の姿にビックリし、帰省中の食事のおかしさにショックを受けて、私に精神病院に行こうと言ってきた。その言葉に私は逆上した。
“おかしい者”扱いされたと思った。
絶対に行くもんか!と思った。

専門学校の友達も、お弁当の時間にサラダやところてんしか食べない私に、最初は色々と心配して言葉をかけてくれていたが、私は聞かず(この頃既にところてんすら食べることが怖くなっていた)、体重は20kg代になっていた。

25kgをきる頃、私は学校のスポーツの時間で走ることもできなくなっていたし、強風が吹くとよろめく程になっていたが、やはり周りの心配を物ともせず、炭酸でお腹を膨らまし、夕方から酒を飲み続ける生活を送っていた。
友達は、どんどん私から離れていった。
学校に行っても、仲の良かった友達も、話をしてくれなくなった。
私以外の友達同士で手紙が回り、露骨に避けられた。

中学時代にいじめに遭った記憶とリンクし、人が、生きるのが、怖くなった。
学校に行かなくなり、過食嘔吐は更に更に酷くなった。
親の仕送りと、同時していたアルバイト代は、過食代に消えた。
洋服は何を着てもガボガボでみすぼらしく、顔も身体も骸骨のようだった。
ある日、ファーストフード店に過食の食べ物を買いに行くと、全く知らない女子高生が私を見て、「何あれ、キモチワルイ!」と言った。ショックだった。。
痩せて、綺麗になったと思ったのは束の間、ガリガリで、もう少し身体に肉をつけなきゃと思っても、もう、怖くて食べられない状態になっていた。

体重20.5kgになった時、病気を認めた。
初めて精神病院に行き、そこで出会った先生の一言で、自分が認められたような気持ちになり、一時的に過食嘔吐は止まった。
先生の提案で、学校を休学して実家に戻った。
休学したため、資格を取ることはできず、追試と追レポートで、どうにか卒業だけする形となった。

実家に戻り、最初は両親とも優しかった。
けれど、1週間ほどでまた過食嘔吐は始まり、三度の食事の後は、冷蔵庫をあさり手当たり次第に食べ、日中は親がくれたお小遣いでスーパーに食べ物を買いに行き、それを部屋で更に食べて、吐いていた。

ガリガリなのに、大量の食べ物を食べ、トイレに行く私に、父は「アジアの難民はな…」と諭そうとしたり、トイレの前で仁王立ちをして吐くことを阻止しようとした。また、過食をしている私の部屋に入ってきて「お前の部屋は豚箱か‼」と怒鳴ったりもした。
母は、料理に使う油や砂糖にいちいち目くじらをたてる私にノイローゼ気味になり、ある時は、部屋で過食をする私に、「コソコソやらないで堂々とやりなさい!」と、茶の間で過食をさせ、トイレに行こうとする私に「これだけ食べたら太れるよ
。(吐くのを)我慢しなさい」と言ってきたりもした。

家族中が、地獄だった。

23歳の時に、酒と摂食障害で精神病院に入院したが、どちらも全く止められなかった。

施設を転々とし、酒は止められるようになったが、過食嘔吐は一向に止められなかった。

酒を止めてから、欠点も自分の一部として受け入れ始め、心から信頼できる友達とも出会え、今の旦那とも三年前から付き合い結婚した。

人間関係は、とても恵まれている。けれど、いつも私には、夜の過食嘔吐がついてまわり、それは、友達同士で旅行する話が出た時にはかなりのストレスとプレッシャーだった。

旦那は、私の病気を全面的に受け入れてくれているが、
今、私のお腹には、そんな旦那との間にできた赤ちゃんがいるのに、私の過食嘔吐は毎晩続いている。

旦那もあまり口には出さないが、色々な面でストレスや心配をしていることは感じる。

その旦那の心配、ストレスをさて置いても、私は毎晩過食嘔吐をしているのだ。

お腹には、5か月になる赤ちゃんがいるのに、毎晩、過食をし、吐いているのだ。

まさか、この歳になって、妊娠しても尚、過食嘔吐を続けているとは昔は思いもしなかった。

今、与えられた相談の時間と提案で、自分にできることを精一杯やり、子供が生まれるまでには、なんとしても過食嘔吐を止められる自分になっていきたい。

11歳から。今こそ

女性 公務員 29歳 O型 東京都

私は11歳という早い段階で拒食症となりました。
入院するまでには至らなかったものの、情報が少ない時代であったこともあり、放置した時間の方が長かったと思います。
ただただ痩せていたい、食べるのが怖い、カロリーばかり気になる、そんな毎日でした。

高校生になり、周りの女の子達が「太っちゃう」と言いながらも、お菓子を食べたり、学校帰りに食べに行ったりしてるのが羨ましかった。どうして私には出来ないんだろうとずっと疑問に思っていました。人と食事をすること、自分のルールで食べれないのが何よりものストレス。だから友達の誘いも断ってばかりで、友達もなかなか出来なかった。

過食症になってからは、最初の頃は吐いていたけど徐々に吐くことが辛くなって、吐くのを止めたらもちろん太りだし、職場でも「やけ食いしたのか?」と笑われる日々。意を決してエステに通いました。すぐに痩せましたが、今度はまた体重計とにらめっこする日が始まりました。どうしてこんなに痩せていたいのか分からない、だけど痩せていないと自分の価値、取り柄がないような気がして焦る。

お腹がすいたらご飯を食べる、そんな単純なことがどうして出来ないのかと自分を責める日々。
摂食障害という病になっていなかったら、もっと楽しい学生時代があったはず。摂食障害になって犠牲にしてきたものは本当に大きいと思います。過去は振り返っても仕方ないけど、未来は変えられるから食べ物のことで悩まない生活がくることを祈って、病気の向き合っていきます。

太っている私は相手にされない

女性 会社員 33歳 A型 兵庫県

摂食障害の初めは拒食症でした。
小さい時からポッチャリしてて…家族みんなで食卓を囲むような環境ではなかった為か、楽しさ、美味しさを感じなかったし好きな食べ物も特になかったですね。食に興味はなかったけど…きっと過食ぎみだったと思います。

太ってた私は、痩せてるね、可愛いね、チヤホヤされたい…
太ってるから私は相手にされない。醜い。だから学校生活が楽しいとも思っていなくて早く大人になりたい、家を出たいと思ってました。

家に居ても兄からデブだのブタなど言われて、母が対処してくれていたらこれ程の痩せの執着はなかったと思いますが…高校2年のクラブを初めてから極度に体重が減り生理が止まり、寒がりになり、体力が落ちました。
だけど痩せた事で自信がつき世界が変わった様に明るい私になりました、痩せれば自分らしくいられる気がしてた。
でもそれは、勘違いです拒食症は歪んだ考えになって行きます。あるキッカケで過食が始まり…今まで食べた事のない量、抑えようのない欲求に恐くなり吐き出す行為をしてしまいました。

私は過食という期間はありません、痩せてる自分が私だと決めつけては、痩せてなければ私でいられなかった。
体重が増えるのを見ると死にたくなる程の恐怖感になるんです。
これまで何度涙を流したか、お金と楽しいはずの時間、嘘をつき、好きな人に優しくする事も出来なかった、自分の歪んだ考えは大切な人達を傷つけてきた、そして自分自身さえも荒んだ心にしていく。
生きる為の食事に今だに拒み続けてしまう、摂食障害が根づいてる以上、私は幸せになれないんだ。
。今更、戻れない取り戻せない…なら先を見るしかない将来を幸せに過ごす為に治したい、心から笑っていたい、大切な人達をも幸せにしてあげたい。

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