本当はこわい。過食症と過食嘔吐

センターの相談を受けた方に過去の体験を綴ってもらいました。専門スタッフによる「過食が止まる無料相談」も行っています。

*

朝起きてから夜眠るまで、ずっと食べ物のことばかり。治したい。

女性 会社員 22歳 A型 神奈川県

摂食障害になって色々変化しました。

まずは頭の中が食でいっぱいになったこと。
朝起きたら朝御飯は何を食べるか。
お弁当は何を入れていくか。
早く準備が終わったら、コンビニでパンを買おうか。

昼は夜御飯は何にしようか。
スーパーで何が値引きされているだろうか。

夜は何をおやつにして食べようか。

それが異常だとは全く思いませんでした。
休みの日は食べ放題に通い歩けなくなるまで食べました。
恥ずかしくても食べれるなら関係ありませんでした。
食費は倍になりました。

過食は普段夜に起こり、お弁当用に作ったおかずを全部食べてしまい、次の日冷凍したお米と味噌汁だけ食べる日もありました。
スーパーで買った値引き品を千円までなら大丈夫と買い、今まで美味しそうじゃないと見向きもしなかった食べ物を食べ、朝ゴミが散乱した部屋を見て落ち込みました。
なのにまたすぐ食べちゃうんですよね。
仕事場でもらったお菓子は人の分まで食べました。
盗んでトイレで食べたりもしました。

当然体重は増え、周りに太った?と言われる度泣きたくなりました。
増えた体重をサバ読みし、まだ大丈夫と思い込みました。
Tシャツが嫌いになりました。
水着も着れなくなりました。

ダイエット方法もたくさん試しました。
でも過食があるので体重が減ってもまだすぐ戻る。
一カ月続けるのがやっとでした。
また倍になって食欲がやってきました。

写真が嫌いになりました。
過去の写真を見てはため息をつく。
でも気づくと携帯片手に食べてる自分がいました。
矛盾してますね。

キャバ嬢にもなりました。
人格関係ないんですね。
夜中にタバコの匂いがこびりついた服を脱ぎながらもらったプレゼントの食べ物を食べながら、何をやってるのかとまた責めながら食べて洗面台で寝ることもありました。

このままの生活を続けるときっと大切な人が出来ても心から笑えないんだと思います。

子供が出来ても食べ物のことしか考えれなければ赤ちゃんに愛情を注げない。
1番の偏った愛は食欲になるから。

家族は理解を示しています。
実家に戻っておいでと言われました。
でもここで帰ったらもう1人では立てない気がするんです。
逃げ続け苦しむと思うんです。
だからわたしは負けたくない。
自分とやっと向き合えるんです。
病気だとわかっただけで嬉しかったんです。

未来は明るいんだと、証明したい。

頭は常にご飯と食欲で満たされ、お腹いっぱいが分からない。

女性 自由業 25歳 B型 大阪府

摂食障害と自覚したのは4日前です。
もしかしたらそうなのかもと思いながら、よく食べるだけ、疲れているから食べるんだと思っていました。
仕事、学校の両立が大変で、どちらもプライドで辞められませんでした。

そんなにお金がないのにも関わらず食費がかさみ、友人などとご飯に行ったときにみんなお腹いっぱいだと言っているのに私は全然満腹ではなく、これっておかしいのかな。と思いました。

ある日友人に凄く食べてしまう日の食べる量の話をしたときに、食べ過ぎだと言われました。何人かに同じ話をしたら、凄く驚いていたので、これっておかしいのかなと気がつくきっかけになりました。

体型維持が必須のお仕事をしているのにも関わらず、減量できないこと、甘えている自分が嫌で悔しくて、でも食べる手は止まらない…その連鎖にまた嫌気がさしていました。

本当は辛い厳しい状況だとしても、誰も自分を助けてはくれないので、自分で何とかこの状況に慣れて、対応していかなければならないんだと思いました。

普通にお腹がいっぱいという感覚はもう随分前からありません。
普段からご飯のこと、食欲で頭の中が満たされて、この思考が消えれば私は良くなるのに何でと思い続けてきました。

本当に直したいです。

20キロ台になっても、自分が病気だと認めることはできなかった。

女性 主婦 38歳 B型 北海道

19歳の頃、摂食障害になった。
地元の田舎町から、専門学校に行くために上京し、姉と二人暮らしをしたが、上京してすぐにダイエットのために食事制限をしたことをきっかけに、拒食が始まる。
アルコール依存も同時発症。酒は空腹を感じないようにしてくれ、拒食に拍車をかけた。

みるみる体重が落ち、最初は、着たかった洋服を着れたり、痩せた自分が太っているよりずっと綺麗になれたように感じた。
姉は、食べなくなる私を心配して、色々な言葉をかけてくれた。でも、私にとってはプレッシャーとストレスでしかなく、姉が作ってくれた物も、食べているフリをして口から出していた。
夏休みに帰省した時、母親が私の姿にビックリし、帰省中の食事のおかしさにショックを受けて、私に精神病院に行こうと言ってきた。その言葉に私は逆上した。
“おかしい者”扱いされたと思った。
絶対に行くもんか!と思った。

専門学校の友達も、お弁当の時間にサラダやところてんしか食べない私に、最初は色々と心配して言葉をかけてくれていたが、私は聞かず(この頃既にところてんすら食べることが怖くなっていた)、体重は20kg代になっていた。

25kgをきる頃、私は学校のスポーツの時間で走ることもできなくなっていたし、強風が吹くとよろめく程になっていたが、やはり周りの心配を物ともせず、炭酸でお腹を膨らまし、夕方から酒を飲み続ける生活を送っていた。
友達は、どんどん私から離れていった。
学校に行っても、仲の良かった友達も、話をしてくれなくなった。
私以外の友達同士で手紙が回り、露骨に避けられた。

中学時代にいじめに遭った記憶とリンクし、人が、生きるのが、怖くなった。
学校に行かなくなり、過食嘔吐は更に更に酷くなった。
親の仕送りと、同時していたアルバイト代は、過食代に消えた。
洋服は何を着てもガボガボでみすぼらしく、顔も身体も骸骨のようだった。
ある日、ファーストフード店に過食の食べ物を買いに行くと、全く知らない女子高生が私を見て、「何あれ、キモチワルイ!」と言った。ショックだった。。
痩せて、綺麗になったと思ったのは束の間、ガリガリで、もう少し身体に肉をつけなきゃと思っても、もう、怖くて食べられない状態になっていた。

体重20.5kgになった時、病気を認めた。
初めて精神病院に行き、そこで出会った先生の一言で、自分が認められたような気持ちになり、一時的に過食嘔吐は止まった。
先生の提案で、学校を休学して実家に戻った。
休学したため、資格を取ることはできず、追試と追レポートで、どうにか卒業だけする形となった。

実家に戻り、最初は両親とも優しかった。
けれど、1週間ほどでまた過食嘔吐は始まり、三度の食事の後は、冷蔵庫をあさり手当たり次第に食べ、日中は親がくれたお小遣いでスーパーに食べ物を買いに行き、それを部屋で更に食べて、吐いていた。

ガリガリなのに、大量の食べ物を食べ、トイレに行く私に、父は「アジアの難民はな…」と諭そうとしたり、トイレの前で仁王立ちをして吐くことを阻止しようとした。また、過食をしている私の部屋に入ってきて「お前の部屋は豚箱か‼」と怒鳴ったりもした。
母は、料理に使う油や砂糖にいちいち目くじらをたてる私にノイローゼ気味になり、ある時は、部屋で過食をする私に、「コソコソやらないで堂々とやりなさい!」と、茶の間で過食をさせ、トイレに行こうとする私に「これだけ食べたら太れるよ
。(吐くのを)我慢しなさい」と言ってきたりもした。

家族中が、地獄だった。

23歳の時に、酒と摂食障害で精神病院に入院したが、どちらも全く止められなかった。

施設を転々とし、酒は止められるようになったが、過食嘔吐は一向に止められなかった。

酒を止めてから、欠点も自分の一部として受け入れ始め、心から信頼できる友達とも出会え、今の旦那とも三年前から付き合い結婚した。

人間関係は、とても恵まれている。けれど、いつも私には、夜の過食嘔吐がついてまわり、それは、友達同士で旅行する話が出た時にはかなりのストレスとプレッシャーだった。

旦那は、私の病気を全面的に受け入れてくれているが、
今、私のお腹には、そんな旦那との間にできた赤ちゃんがいるのに、私の過食嘔吐は毎晩続いている。

旦那もあまり口には出さないが、色々な面でストレスや心配をしていることは感じる。

その旦那の心配、ストレスをさて置いても、私は毎晩過食嘔吐をしているのだ。

お腹には、5か月になる赤ちゃんがいるのに、毎晩、過食をし、吐いているのだ。

まさか、この歳になって、妊娠しても尚、過食嘔吐を続けているとは昔は思いもしなかった。

今、与えられた相談の時間と提案で、自分にできることを精一杯やり、子供が生まれるまでには、なんとしても過食嘔吐を止められる自分になっていきたい。