本当はこわい。過食症と過食嘔吐

センターの相談を受けた方に過去の体験を綴ってもらいました。専門スタッフによる「過食が止まる無料相談」も行っています。

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カテゴリ : 過食症での人生歴

摂食障害、私の人生に必要な試練だけど、このままでいいとは思わない。

女性 自由業 31歳 B型 奈良県

どうして、摂食障害になったんだろう。
10年も、苦しむことになるなんて、想像もしてなかった。

高校に入学したころ、家族の秘密を知った。私は、両親にすごく愛されて育ててもらったけど、私が生まれたことで、すごく傷ついた人がいる。そんなことないのかもしれない。でも、15歳の私は、そういう風にしか受け取れなかった。自分が生まれてきたことを、責めた。どれだけ両親が愛情を注いでくれても、それは、ある人の犠牲の上に、私の幸せがあったんだと思うと、もう、それからは、素直に愛情を受け取れなくなってしまった。私なんて、生まれてこなければ良かったと、常にそう思っていた。
それまでは、活発な性格だったが、それ以来自分に自信がなくなり、消極的になった。高校に入ってから、少し太り出す。5キロくらい。この頃は過食とかじゃなく、年頃特有の体型の変化だと思う。でも、男子から、急に体型についてからかわれたり、自信がなくていつもオドオドしていたせいか、気の強い子には「下」とみなされ、その頃から人の顔色を伺うクセがついてしまった。なんでも、自分のせいだと思ってしまう。今でも。
思えば、このぐらいから「マグマ」が蓄積されていたのかもしれない。

高校卒業後、就職した。もういじめられることはなかったけれど、仕事だけを支えに生きていた。結構な激務だったけど、他には、何にもなかった。自信もない、得意なこともない、趣味もない。やりたいこともない。可愛くもないし太っている。仕事しかなかった。ある日、仕事上の、ほんの些細な出来事がきっかけで、体調を崩し胃腸を悪くした私は、ほとんど食事を摂ることができなくなる。3か月くらいそんな状態が続き、体調が悪化して入院。気付くと、15キロくらい痩せていた。フラフラなのに、生理も止まったのに、痩せてたことが嬉しいと思った。その頃には、身体が全く食事を受け付けず、24時間点滴。体調不良の原因は不明。医師にはストレスかなと言われていた。退院後、心も身体も限界だった私は、仕事に戻ることができず、辞職した。私は本当に、何も無くなってしまった。仕事もせず、親に世話になり、誰にも必要とされず、明日私が消えても、誰も困らない。自分は何のために生きてるのか?生きている意味はあるのか?食事すら、苦痛な時間になって。楽しいことも、何ひとつなかった。何も無い自分に残ったのは、痩せた身体だけ。細くなると、周りが優しい。もう、体型をからかわれることはない。何としても、太るわけにはいかなかった。次第に、体調不良からの食欲不振に加え、太りたくない恐怖が加わる。5年ほどは、拒食だった。

ある時、猛烈に食べたい気持ちに襲われる。コンビニで、ずっと我慢していたお菓子やパンを買い込む。大量の食べ物を前に、どうしようか焦った。「そうだ、噛むだけ噛んで味わって、出しちゃえばいい」夢中でチューイングした。まだ、チューイングなんて言葉も知らなかった。それから始まってしまった。拒食だけだった頃よりはるかに辛い。出してるとは言え、少しずつ増える体重。見た目だけは元気そうに見える。周りの、「元気になったね」の言葉が辛い。親にも、分かってもらえない。チューイング後の罪悪感。常に疲労感。欲しいものも買えず、ただ食べ物に費やす日々。毎日、1日中食べ物のことばかり考えてる。やりたいこともできない。

摂食障害に振り回された20代。友達も、どんどん減っていった。周りは仕事に結婚。キラキラしてるのに、私は・・・楽しいことも、殆どなかった。お金も、社会経験も。他人を避けて、閉じこもる。人に会うのが怖い。社会に出るのが不安で、怖くて。
30歳を前に、転機が訪れる。支援を受けながら、働き始めた。そこで、身体障害があり、車いすでも明るく生きてる人に出会った。その人と過ごすうちに、私の中で、少しずつ何かが変わっていった。長年止まってた生理も、戻った。

今もチューイングをしてるし、食べる恐怖もある。ちょっとしたことで悪化してしまうし、情緒不安定だけど、少しずつ、確実に変わっている。本当にやりたいと思える仕事にも出会えて、支援を受けながらであっても今、それができていること。友達は少ないけれど、摂食障害になっても変わらずに居てくれた友達だけが残った。だから淋しくない。友達は数じゃない。こんな私を昔から支えてくれて、一緒に居てくれる人が居る。本当に大事な人がわかったり、なんでもないことが嬉しかったり、感謝できたり、人の気持ちを考えられるようになったりしたことは、やっぱりこの病気になったからこそかなと思います。

だけど、このままでいいとは思わない。摂食障害も、私の人生に必要な試練だったのかなと思えるぐらいにはなれたけど、これからの私の人生に、摂食障害は必要ないから。病気は治さなくてはいけない。治したい。そして、「食」に支配されず、やりたいことができる人生を送りたい。時間もお金も有意義に使って、好きな人と、穏やかに生きていきたい。

発症9カ月…普通だった10カ月前に戻りたい。

女性 会社員 25歳 A型 千葉県

失恋がきっかけで食事量が極端に減り、1週間で6kg体重が減ったことがありました。
それから新しい恋愛をしてから、しばらくは普通の食生活をできていたのに週1,2回程度過食するように。
当時の彼から太った、前はスタイルがよかった、と言われるようになり、痩せないといけないのにどうすればいいかわからず過食もとめられませんでした。太ったことがすべての原因ではありませんが、その人には振られました。

それから、一時的に体重は減りましたが、転じてそれまでとは比較にならない程過食量が増えました。

転職して間もないのに、帰宅してすぐ過食。
体重はこの1ヶ月で5kg増え、体は重いし服は入らない、身体を動かすと今まで感じなかった肉を感じ、苦しいです。
食べ過ぎで口の中が痛くなる日もあります。
たくさん食べ物を買って、食べてる途中はお腹いっぱい、こんなにいらなかったと思うのに食べ物が少なくなると不安になります。

過食に時間を取られて家事や勉強が一切出来ず、夜更かしもしていつも睡眠不足で身体が辛いです。
学生の頃や、10ヶ月前は特に食事や体重は意識したことなかったのに痩せていて、あの時のことばかり思い出します。思い出したって過食を止められない自分が悪いのに…と自分を責めながら、どこかで甘えや逃げの気持ちもあります。
私は過食をやめて、痩せて、スタイルが良くなって、これからの人生明るく生きたいのに。先が見えません。

20キロ台になっても、自分が病気だと認めることはできなかった。

女性 主婦 38歳 B型 北海道

19歳の頃、摂食障害になった。
地元の田舎町から、専門学校に行くために上京し、姉と二人暮らしをしたが、上京してすぐにダイエットのために食事制限をしたことをきっかけに、拒食が始まる。
アルコール依存も同時発症。酒は空腹を感じないようにしてくれ、拒食に拍車をかけた。

みるみる体重が落ち、最初は、着たかった洋服を着れたり、痩せた自分が太っているよりずっと綺麗になれたように感じた。
姉は、食べなくなる私を心配して、色々な言葉をかけてくれた。でも、私にとってはプレッシャーとストレスでしかなく、姉が作ってくれた物も、食べているフリをして口から出していた。
夏休みに帰省した時、母親が私の姿にビックリし、帰省中の食事のおかしさにショックを受けて、私に精神病院に行こうと言ってきた。その言葉に私は逆上した。
“おかしい者”扱いされたと思った。
絶対に行くもんか!と思った。

専門学校の友達も、お弁当の時間にサラダやところてんしか食べない私に、最初は色々と心配して言葉をかけてくれていたが、私は聞かず(この頃既にところてんすら食べることが怖くなっていた)、体重は20kg代になっていた。

25kgをきる頃、私は学校のスポーツの時間で走ることもできなくなっていたし、強風が吹くとよろめく程になっていたが、やはり周りの心配を物ともせず、炭酸でお腹を膨らまし、夕方から酒を飲み続ける生活を送っていた。
友達は、どんどん私から離れていった。
学校に行っても、仲の良かった友達も、話をしてくれなくなった。
私以外の友達同士で手紙が回り、露骨に避けられた。

中学時代にいじめに遭った記憶とリンクし、人が、生きるのが、怖くなった。
学校に行かなくなり、過食嘔吐は更に更に酷くなった。
親の仕送りと、同時していたアルバイト代は、過食代に消えた。
洋服は何を着てもガボガボでみすぼらしく、顔も身体も骸骨のようだった。
ある日、ファーストフード店に過食の食べ物を買いに行くと、全く知らない女子高生が私を見て、「何あれ、キモチワルイ!」と言った。ショックだった。。
痩せて、綺麗になったと思ったのは束の間、ガリガリで、もう少し身体に肉をつけなきゃと思っても、もう、怖くて食べられない状態になっていた。

体重20.5kgになった時、病気を認めた。
初めて精神病院に行き、そこで出会った先生の一言で、自分が認められたような気持ちになり、一時的に過食嘔吐は止まった。
先生の提案で、学校を休学して実家に戻った。
休学したため、資格を取ることはできず、追試と追レポートで、どうにか卒業だけする形となった。

実家に戻り、最初は両親とも優しかった。
けれど、1週間ほどでまた過食嘔吐は始まり、三度の食事の後は、冷蔵庫をあさり手当たり次第に食べ、日中は親がくれたお小遣いでスーパーに食べ物を買いに行き、それを部屋で更に食べて、吐いていた。

ガリガリなのに、大量の食べ物を食べ、トイレに行く私に、父は「アジアの難民はな…」と諭そうとしたり、トイレの前で仁王立ちをして吐くことを阻止しようとした。また、過食をしている私の部屋に入ってきて「お前の部屋は豚箱か‼」と怒鳴ったりもした。
母は、料理に使う油や砂糖にいちいち目くじらをたてる私にノイローゼ気味になり、ある時は、部屋で過食をする私に、「コソコソやらないで堂々とやりなさい!」と、茶の間で過食をさせ、トイレに行こうとする私に「これだけ食べたら太れるよ
。(吐くのを)我慢しなさい」と言ってきたりもした。

家族中が、地獄だった。

23歳の時に、酒と摂食障害で精神病院に入院したが、どちらも全く止められなかった。

施設を転々とし、酒は止められるようになったが、過食嘔吐は一向に止められなかった。

酒を止めてから、欠点も自分の一部として受け入れ始め、心から信頼できる友達とも出会え、今の旦那とも三年前から付き合い結婚した。

人間関係は、とても恵まれている。けれど、いつも私には、夜の過食嘔吐がついてまわり、それは、友達同士で旅行する話が出た時にはかなりのストレスとプレッシャーだった。

旦那は、私の病気を全面的に受け入れてくれているが、
今、私のお腹には、そんな旦那との間にできた赤ちゃんがいるのに、私の過食嘔吐は毎晩続いている。

旦那もあまり口には出さないが、色々な面でストレスや心配をしていることは感じる。

その旦那の心配、ストレスをさて置いても、私は毎晩過食嘔吐をしているのだ。

お腹には、5か月になる赤ちゃんがいるのに、毎晩、過食をし、吐いているのだ。

まさか、この歳になって、妊娠しても尚、過食嘔吐を続けているとは昔は思いもしなかった。

今、与えられた相談の時間と提案で、自分にできることを精一杯やり、子供が生まれるまでには、なんとしても過食嘔吐を止められる自分になっていきたい。